日本では、政治をスタジアムに持ち込もうとする人たちも、スタジアムを政治に利用しようとする人たちもあまりいないようですが(戦略のかけらもない稚拙なやり方でそれを試みて、心あるサポの皆さんにあっという間に潰された人はいたらしいですが)、イタリアでは国会からゴール裏まで、あらゆるところにあらゆる形で政治が持ち込まれています。
これは、昨年春の総選挙期間中に起こった、ちょっとしたドタバタを取り上げた原稿。ちなみに、この選挙では中道左派が勝利を収め、ベルルスコーニさんにもやっと首相の座を降りてもらうことができました。だからといってイタリアの政治がましになったというわけでもないんですが。
イタリアは今、5年に一度の総選挙の真っ最中である。2月はじめに上下院両院が5年間の任期を終えて解散、4月9日の投票日まで、2ヶ月間の選挙戦を繰り広げている。といっても、幸いなことに、イタリアの場合うるさい選挙カーが街を走り回るというようなことはないので、街の様子は、政党のポスターがやけに多いのが目立つ以外、特に普段と変わりはない。
「カルチョおもてうら」というタイトルのコラムで、どうして選挙の話なんかをするかといえば、それは、イタリア共和国の現首相であり、今度の選挙戦でも中道右派の連合体「自由の家Casa della liberta’」の顔となるシルヴィオ・ベルルスコーニ(フォルツァ・イタリア党首)が、ミランのオーナーでもあるからだ。
ベルルスコーニの率いる中道右派は、2001年の総選挙に勝ってから5年間、政権の座にあった。その間、イタリアの国情がどうだったかというと、財政赤字は深刻化、産業の競争力は減退、消費者物価は上昇、失業率も増加と、少なくとも国民が満足する方向には向かっていないように見える。いち外国人居住者の立場から言っても、物価上昇と景気の後退は生活感覚としてはっきり実感できる。首相や閣僚の個人資産は随分と増えたらしいが。
当然、この選挙戦でベルルスコーニは不利な立場に置かれているのだが、対する中道左派「オリーヴの木L’Ulivo」も、決して説得力のあるビジョンを提示できているわけではなく、投票日まであと2週間を残して、形勢はまだ流動的だ。
良く知られているように、ベルルスコーニは、全国ネットの民放4chのうち3chを所有する持ち株会社メディアセットのオーナーでもある。
94年にフォルツァ・イタリアという政党を立ち上げて政界に打って出、一気に首相の座を手に入れた時には、自らのTV局をフルに活用して「新製品の市場プロモーション戦略とほとんど変わらない」と言われるほどの広告戦略を展開、庶民の人気を勝ち取った。そのイメージリーダーとなったのは、当時、圧倒的な強さでセリエA3連覇中だったミランだった。
ところがその後、これに懲りた政界が、マスメディアにおける選挙広告を禁止し、選挙期間中は中立的な番組を通じて全政治勢力に均等な発言機会を与えるという法律を定めたため、前回(2001年)と今回の総選挙では、マスコミを操って選挙活動を行うことはできず、かつてのように露骨な「政治とサッカーの混同」は見られなくなっている。
しかしそれでは、カルチョが今回の選挙と無関係でいられるかといえば、そうでもない。
というのも、政財界の大物の中に、カルチョの世界と関わりを持つ人物が増え、そのおかげで政治と経済が交わる接点に、カルチョの文脈も否応なく絡んでくるからだ。
それが露骨に表れたのが、10日ほど前に行われたイタリア経団連の総会だった。
この団体には産業界の重鎮が顔を揃えている。会長は、イタリア唯一最大の自動車メーカー、フィアット会長のルカ・コルデーロ・ディ・モンテゼーモロ。フィアットとユヴェントスのオーナーであるアニエッリ家と、深い関わりを持つ人物である。副会長には、高級靴メーカー・トッズのディエゴ・デッラ・ヴァッレが名を連ねている。フィオレンティーナのオーナーである。
さて、この会合にゲストとして招待され出席されたベルルスコーニは、財政赤字や景気後退によるイタリア経済の危機、という議論を真っ向から否定しにかかった。
「どこが経済危機ですか。左翼の連中が新聞を使ってありもしない危機をでっち上げているだけです」。「新聞が煽る悲観論などに振り回されてはいけません。どの新聞も左翼に操られてデマばかり書き立てている。これは経済の危機じゃなく民主主義の危機です」。「財界人が左翼の肩を持つこと自体がおかしい。左翼の肩を持っている財界人は、何かやましいことがあるに違いない。そうでしょうデッラ・ヴァッレさん」。
ベルルスコーニは、メディアセットを通じて民放3chを、政府を通じて国営放送局RAI3chのうち少なくとも2chに影響力を及ぼしているが、新聞への影響力は強くない。
今回の選挙では、大手日刊紙3紙のうち、元々左寄りのラ・レプブリカに加えて、元々保守的なコリエーレ・デッラ・セーラまでが、中道左派に好意的な論調を打ち出している。そして、デッラ・ヴァッレは、そのコリエーレ・デッラ・セーラ(とガゼッタ・デッロ・スポルト)を発行しているRCSグループの大株主のひとりなのである。
ベルルスコーニから名指しで左翼呼ばわりされたデッラ・ヴァッレは、翌日、フィオレンティーナのオーナーとしてスポーツニュースのインタビューを受けた際に、「ベルルスコーニはノイローゼ気味だ。家族の人がもっと近くにいてあげた方がいい」とやり返して、これがまたニュースになった。
そして、どういう巡り合わせか、たまたまその週末にはミラン対フィオレンティーナが組まれていた。当然、この試合は、ベルルスコーニ対デッラ・ヴァッレの番外編のような煽り方をされることになる。中道左派勢力の重鎮、マッシモ・ダレーマ元首相などは「政治的な立場としてはデッラ・ヴァッレを応援したいのだが、ロマニスタとしてはミランにフィオレンティーナを倒してもらわないと4位争いで後れを取る。ハムレットの心境だ」などとコメントする始末。
せめてもの救いは、当事者であるベルルスコーニとデッラ・ヴァッレが、この試合を政治的に利用しようとしなかったところだろう。彼らはその後、この話題に言及することをあえて避け続け、茶番劇にもやっとケリがついた。試合結果はミランの3-1だった。■
(2006年3月28日/初出:『El Golazo』連載コラム「カルチョおもてうら」#65)