「イタリア代表の歩み」シリーズ(?)その12。ついにワールドカップ編が完結です。こうやって振り返るともう遠い昔の話みたいですが、まだ2年前。1ヶ月後に始まるユーロ2008に臨むアズーリは、レギュラー11人中ディ・ナターレを除く10人がワールドカップ組、平均年齢30歳というさらに成熟したチームです。

高齢化とかモティベーション不足とかいろいろ不安が囁かれていますが、ぼくはこのユーロでもまた優勝するんじゃないかという気がしています。

鍵はおそらく、ドナドーニがマテラッツィをレギュラーから外せるかどうか。明らかにコンディションが上がっていない今のマテラッツィをレギュラーとしてピッチに送るのは危険過ぎます。とりあえず計算できるバルザーリの方がずっと安心。

というわけで、今日からジーロ・ディタリアも始まったことですし(謎)、次回からは従来通りランダムなアーカイブに戻ります。

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1)プレビュー:成熟した大人同士の決戦

「決勝はフランスとやりたい。ロッテルダム(ユーロ2000決勝)とサン・ドニ(フランス98準々決勝)、2つも借りがあるからね」。そう語っていたイタリア主将カンナヴァーロの希望通り、6年ぶりとなる因縁の対決が、ワールドカップ決勝という最高の舞台で実現する。

イタリアはカンナヴァーロに加えてトッティなど4人、フランスはバルテス、トゥラム、ヴィエイラ、ジダンなどの6人が2000年当時からのメンバー。レギュラー組の平均年齢はともに29歳台と、今大会で最も高い部類に属する。この事実が象徴的に示す通り、豊かな経験に裏打ちされた勝負強さを備えた「成熟した大人のチーム」同士の戦いである。

フィジカル能力と集中力の高さを兼備した安定感抜群のディフェンス、トップ下で攻撃を操る世界屈指のファンタジスタを核とする1トップの布陣、無理をして攻撃に人数をかけることなく、攻守のバランスを保ちながら辛抱強く戦い、一瞬の隙を見逃さず一気に勝負をかける老獪な試合運びなど、両チームの共通点は少なくない。

お互い相手を知り尽くしているだけに、オープンに攻め合うスリリングな試合展開にはなりそうにない。むしろ、お互いが真剣を手に睨み合うような、均衡かつ緊迫した心理戦になる可能性が高そうだ。

そういう展開の試合で勝敗を分けるゴールは、往々にして次の3つのパターンから生まれるものだ。すなわち、1)セットプレー、2)個人のスーパープレー、3)意外な伏兵の思わぬシュート。

セットプレーでの得点力はほぼ互角といっていいだろうが、単独で決定的な違いを作り出すことのできるプレーヤーに関しては、前線にアンリとジダンを擁するフランスが一枚上手。一方のイタリアでそれを期待できるのはトッティくらいか。ただし3番目については、攻撃パターンがアンリへのスルーパスとリベリの突破だけに限られているフランスに対して、6試合で10人が得点を挙げているイタリアの方が、可能性がありそうだ。

いずれにしても、実力的にはまったくの互角。後半の早い時間帯までに試合が動かないようだと、長い戦いになるかもしれない。□

2)試合:イタリア1-1<5-4dcr>フランス(2006年7月9日、ベルリン)

得点:7′ ジダンPK(フランス)、19′ マテラッツィ
退場:110′ ジダン

イタリア(4-4-1-1)
GK:ブッフォン
DF:ザンブロッタ、カンナヴァーロ、マテラッツィ、グロッソ
MF:カモラネージ(86′ デル・ピエーロ)、ガットゥーゾ、ピルロ、ペロッタ(61′ デ・ロッシ)
OMF:トッティ(61′ イアクインタ)
FW:トーニ

フランス(4-2-3-1)
GK:バルテス
DF:サニョル、トゥラム、ガラス、アビダル
MF:マケレレ、ヴィエイラ(56′ ディアッラ)
OMF:リベリ(100′ トレゼゲ)、ジダン、マルダ
FW:アンリ(107′ ウィルトール)

3)レビュー:脇役が勝ち取ったワールドカップ

「脱カテナッチョ」の攻撃サッカーを看板に大会に臨んだアズーリだったが、皮肉なことに、躍進を支えたのは、堅固きわまりないディフェンスだった。最後に迎えた決勝でも、ジダンが操るフランス攻撃陣に押し込まれながら、最後の一線で踏みとどまり、苦しみ抜いての延長PK。結果的には、いい意味でも悪い意味でも、従来からのイメージを裏切らない、いかにもイタリアらしい幕切れとなった。

ただし、これまでと決定的に違ったところがひとつだけある。それは、そのPK戦で5人が5人ともしっかり決め、世界の頂点に立ったこと。しかも、5本すべてがGKに止めようがないシュートという完璧さだった。90年、94年、98年と3回連続でPK負けを喫し、PK戦での勝負弱さには定評があったイタリアからすれば、これはもう画期的なことである。

リッピ監督は振り返る。
「正直言って、PK戦に不安はなかった。私はチャンピオンズリーグの決勝で二度、PK戦を経験している。96年、ローマでアヤックスに勝った時にはほとんど全員が蹴りたがったものだが、2003年、マンチェスターでのミラン戦では、キッカーを5人揃えるのにも苦労した。結果はご存じの通りだ。今回はローマの時と同じだった」

5番手として最後にPKを蹴ったのはグロッソ。R16オーストラリア戦でPKを誘った突破、準決勝ドイツ戦で決めた終了間際の決勝ゴール、そしてこのPKと、国際的にはまったく無名の左サイドバックは、主役級の活躍で優勝への貢献を果たした。

このグロッソも含めて、今回のイタリアの優勝は、脇役が勝ち取った勝利と言ってもいいだろう。MVPを1人挙げろと言われたら、全試合を通じて驚異的なパフォーマンスを見せ、あらゆる危険の目を未然に摘み続けたキャプテンのカンナヴァーロ以外には思いつかない。他にも、ブッフォン、ザンブロッタ、マテラッツィ、グロッソ……。ディフェンダーが勝利のシンボルになるワールドカップというのは、そうそうあるものではないだろう。

もうひとつ、とりわけ印象深いのは、アマチュアから叩き上げて代表の座にまで登り詰めた「雑草」たちの貢献度が高かったことだ。

グロッソはペルージャの小さなアマチュアクラブ(5部リーグ所属)で育ち、25歳までセリエC2(4部リーグ)で過ごした、文字通りの叩き上げ。マテラッツィにしても、やはり5部のアマチュアクラブでキャリアをスタートして下部リーグを渡り歩き、セリエAに定着したのは20代後半になってから。

リッピ監督が交代要員として重用したイアクインタも、20歳の時には5部リーグでプレーしていた。2ゴールを決めたトーニが、セリエBとC1で長い下積み時代を過ごしたこともよく知られている。

ユース年代から代表で活躍し、ビッグクラブで主役を張るエリートたちに加えて、こうした叩き上げの雑草がワールドカップという大舞台で決定的ともいえる貢献を果たすところにも、イタリアサッカーの底力の一端が表れていた。□
 

4)総括コラム:24年ぶりの栄冠・耐え忍んだ勝利こそが貴い

イタリアが24年ぶり4回目の優勝を勝ち取るためには、延長、そしてPK戦という試練が必要だった。

90年イタリア、94年USA、98年フランスと、3大会連続でPK負けを喫しているという輝かしい(?)実績を誇る上に、相手はその98年、そして2年後のユーロ2000で煮え湯を飲まされたフランス。PK戦に至るまでの試合内容も含めて、これ以上ないほどに嫌な巡り合わせだっただけに、それを乗り越えて勝ち取った勝利の歓びはひとしおだっただろう。

準決勝のドイツ戦と決勝のフランス戦。ともにサッカーだけでなく、政治・社会・文化とあらゆる面で歴史的因縁浅からぬ、同じ西欧の宿敵が相手ながら、あらゆる意味で対照的な試合だった。

ドイツ戦のイタリアは、立ち上がりから積極的にボールを支配し、終始自分たちのリズムで試合を進めた。双方ともになかなかシュートまで行かない、拮抗した展開ではあったが、主導権を握っていたのは常にイタリア。ベースになるテクニックの部分で上回っていたがゆえに、安定したボールポゼッションを保ち、辛抱強くチャンスを窺うことが可能だった。

結果的には、延長残り2分にやっとゴールを決め、ギリギリでPK戦を免れる格好になったが、「この試合にもし負けていたら、それほど理不尽なことはなかっただろう」というリッピ監督の試合後コメントの通り、内容的にはイタリアの完勝だった。

ところが決勝のフランス戦は、まったく正反対。テクニックと戦術的秩序の双方で上回るフランスにじわじわと押し込まれ、なかなか自陣からボールを持ち出すことができない。中盤と前線をつなぐ結節点として機能するべきトッティは、運動量の少なさもあって、マケレレ、ヴィエイラという強力なボランチに完全に押さえ込まれ、ボールに触れさせてすらもらえなかった。イタリアは、トッティが交代するまでの1時間、10人で戦っているようなものだった。

マテラッツィの同点ゴールを含め、数少ないチャンスはすべてセットプレーから。流れの中から、バルテスの守るゴールを脅かすシュートを放つことは、120分を通じてたった一度もなかった。

意外なことに、1日多く休んだイタリアの方が、先に疲れて足が止まり、時計が進むにつれて、守り切るだけの戦いになった。ヴィエイラの負傷退場、そしてジダンの衝撃的なレッドカードがなければ、残り10分、準決勝でのドイツと同じ運命になった可能性は、かなり高かったと言っていいだろう。

だが、結果はご存じの通り。「脱カテナッチョ」の攻撃サッカーを看板に大会に臨みながら、最終的にはお家芸ともいえる専守防衛でゴールを死守し、しかも苦手とするPK戦で勝利を掴んだのだから、皮肉なものである。

優勝から一夜明けたイタリアの新聞各紙は、もちろん24年ぶりの「カンピオーニ・デル・モンド」(世界チャンピオン)をもたらしたアズーリの礼賛一色。その中で目立ったのは、「この勝利は耐え忍んだ末に勝ち取ったものだからこそ価値がある」という論調である。オープンに戦った乱戦の末に勝ち取った4-3よりも、虎の子の1点を最後まで守り切って手に入れた1-0の勝利に、より大きな価値を見出すイタリアのメンタリティが、こんな時にも顔を出す。

10日夜、帰国したアズーリをローマの官邸に迎えたロマーノ・プロディ首相のスピーチも、その意味で非常に示唆に富んだ内容だった。

「最後の2試合は本当に厳しい戦いでした。国民の誰もが、あなた方アズーリと一緒に終わりなき緊張と困難に耐え続けた。そして最後に、勝利の歓びとチームスピリットの素晴らしさを共に噛みしめることができた。

結果というものは労力と汗と熱意を費やして初めて勝ち取れるものだということ、最後の最後まで諦めず戦い抜かなければならないこと、そして、ひとりひとりの高い能力だけでなく、全員が結束して力を合わせなければ決して勝利は勝ち取れないことを、あなた方アズーリはこれからイタリアを担う若い世代に教えてくれました。そのことに心から感謝します」□

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。