Covid前からずっと更新が滞ったままでしたが、その間も各所に寄稿したテキストは溜まり続けているので、少しずつ更新を再開しようかなと思っています。
——という気になったのは、ユヴェントスが2006年に引き起こした「カルチョポリ」スキャンダルに関して、正しい理解がされていないように見受けられるやり取りを、今でも時々SNS上で目にすることがあるからです。
結論から言えば、カルチョポリは「八百長」でも「買収」でもなかったけれど、「スポーツにおける詐欺」というれっきとした不正行為であり、ユヴェントスがそれを行ったこと、そしてそれが罪に値することは、司法の最終的な判断である2015年3月の上告審判決によって認められています。
ただし、その時点で事件はすでに「時効」になっていたので、モッジ、ジラウドらに実刑判決は下されず「免罪」扱いとなりました。
したがって「ユヴェントスには無罪判決が下った」というのは虚偽であり、そう信じている方は認識を改める必要があります。詳しくは以下を熟読していただければ。

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 2015年3月23日深夜、2006年にセリエAで起こった腐敗スキャンダル「カルチョポリ」をめぐる刑事裁判の上告審判決が下された。これによって、足かけ9年間続いたこのスキャンダルをめぐる騒動に一応の区切りがついたことになる。
 
 判決の内容は、事前に予想されていたとはいえ、ある意味で拍子抜けするものだった。

 2013年12月の二審判決で有罪となり上告していた被告21人のうち、ルチャーノ・モッジ(元ユヴェントス・ゼネラルディレクター)、アントニオ・ジラウド(同代表取締役)、インノチェンツォ・マッツィーニ(元イタリアサッカー協会副会長)、ピエルルイジ・パイレット(元FIGC審判指名責任者)、クラウディオ・ロティート(ラツィオ会長)、アンドレア・デッラ・ヴァッレ(フィオレンティーナ会長)ら計18人に対して下されたのは「時効による免罪」という、無罪ではないが実刑を受けずに済む判決だったからだ。

 イタリアでは、裁判で刑が確定しないまま一定の年数(罪状によって異なる)が経過した場合、被疑者は時効の適用を受けることができる。今回の判決で裁判官は、容疑事実となった「スポーツにおける詐欺(不正行為)を目的とする共同謀議グループ」の存在を認めた上で、時効の成立を宣言した。

 日本では一部のサイトなどで「無罪判決が下った」と報じられているが、これは謝罪訂正を必要とするレベルの誤りだ。イタリアの裁判制度においては、時効が適用可能な場合でも、無罪であることが確実な場合には無罪判決が下されることになっている。「時効による免罪」というのは、罪状は認められるが裁判の期限が過ぎたので実刑の適用を免除する、というもの。間違いなく「シロ」ではないけれど、もう時間もだいぶ経ったので「灰色」ということにして手を打ちましょうという、何と言うかいかにもイタリアらしい結末である(ベルルスコーニがこれに何度救われてきたことか)。

 21人の被告のうち、元審判のマッシモ・デ・サンティス、アントニオ・ダッティロ、パオロ・ベルティーニという3人は、時効の適用を拒否して「シロ」か「クロ」かを確定する判決を求めた。その結果、ただ1人実刑判決を受けることになったのが、審判団の中で最もモッジに近い存在と見られ求刑も重かったデ・サンティス。ダッティロとベルティーニは21人の中でただ2人だけ、無罪判決を勝ち取った。
 
 では、そもそも「カルチョポリ」とはいったい何だったのだろうか。勃発から9年も経っているので、読者の皆さんの中には具体的なイメージを持っていない方も少なくないだろう。

 ユヴェントスのセリエB降格をはじめミラン、フィオレンティーナ、ラツィオなど多くのクラブに厳しい処分が及んだ不正行為スキャンダル「カルチョポリ」は、21世紀初頭のイタリア、ひいては欧州サッカー史における最大の事件のひとつだ。

 発端は、当時ユヴェントスのGDだったモッジをターゲットに、検察当局が水面下で進めてきた電話傍受捜査だった。

 1994年以来、ユーベのチーム強化を一手に担っていたモッジは、12シーズンで7回の優勝をもたらした凄腕と評価される一方で、以前から「移籍マーケットの帝王」「カルチョ界の黒幕」などと呼ばれ、サッカー協会の中枢や審判部との癒着をはじめ、黒い噂が絶えなかった大物である。

 この捜査が明らかにしたのは、彼がFIGC副会長マッツィーニ、審判指名責任者のベルガモとパイレットなどと癒着し、合わせて20人近い主審・副審、さらにFIGCの懲罰委員会までも影響下に収めて、様々な方法で試合の展開と結果を操作しようとしていた事実だった。その具体的な手口は次のようなものだった。
 
・審判指名への介入(2人の指名責任者との癒着、影響力行使)
・ユヴェントスに好意的な審判グループの形成とそれに従わない審判の排除
・ユヴェントスに不利な判定をした審判への報復や脅迫
・影響下にある審判を使った偏向判定による試合展開、結果の“誘導”(友好的なクラブの支援と敵対的なクラブの排除)
・影響下にある審判を使った警告、退場処分による、次節、次々節の対戦相手の戦力削減
・FIGC懲罰委員会への介入による出場停止など懲罰処分の操作
・TV討論番組司会者やジャーナリストとの癒着を通じた、マスコミの審判評価の操作

 こうした、審判に対する圧力を利用した試合の操作は、直接的な金銭授受などを伴っていないため、いわゆる「買収」「八百長」にはあたらない。カルチョポリがユヴェントスによる審判買収、あるいは八百長だったというのは、したがって誤った認識である。

 しかし、「不正な行為を通じてプロスポーツの結果を操作することにより、公正な競争を妨げ不当な利益を得る」行為は、イタリアでは「スポーツにおける詐欺」にあたる。これは罰金刑だけでなく懲役刑も適用される立派な刑事犯罪だ。

 この捜査の内容がマスコミに流出し、スキャンダルが勃発したのが、ドイツW杯を目前に控えた2006年5月初めのこと。これを受けてFIGCでは会長、副会長、事務局長が揃って辞任し権力の空洞化が生じたが、上部団体であるイタリアオリンピック連盟から臨時コミッショナーが送り込まれて、不正行為に関与したクラブに対する処分を決定するスポーツ裁判が6~7月に行われた。その結果が、直後の06-07シーズンにおけるユヴェントスのセリエB降格、フィオレンティーナ、ラツィオ、ミラン、レッジーナへの勝ち点剥奪という処分だった。

 一方、検察の捜査に基づく「スポーツにおける詐欺行為を目的とする共同謀議罪」の刑事裁判は、2011年に一審判決、2013年に二審判決が出され、そのいずれにおいてもほとんどの容疑者に有罪判決が下されてきた。今回の裁判の対象となったのは、二審判決を不服として上告を行った21人。これに対してほとんどの容疑者に下された最終判決が、上記の通り「時効成立による免罪」だったというわけである。
 
 この判決によって、カルチョポリは一応の終幕を迎え、歴史上の出来事としてアーカイブされることになった。

 この事件がイタリアサッカーにもたらした負の影響は甚大としか言いようがないものだった。最も大きかったのは、ほかでもないユヴェントスの凋落である。00年代前半に4度のスクデットを獲得し、CLでもベスト8の常連だったところから一転してセリエBに降格、1年でA復帰を果たしたものの、カルチョの盟主の座に返り咲くまでにはさらに5年の歳月が必要だった。

 ユヴェントスだけがB降格とスクデット剥奪というきわめて厳しい処分を受けた一方で、同様の不正行為に関与したミラン、フィオレンティーナ、ラツィオが相対的に軽い処分に留まったこと、さらに、後になって同じように審判指名責任者への働きかけを行っていたことが明るみに出たインテルが処分の対象にならず(これも時効が理由だった)、それどころかユーヴェから剥奪された05-06シーズンのスクデットを今も保持していることについては、不当な措置だったとして糾弾する声もある。

 処分の当事者であるユヴェントスのアンドレア・アニエッリ会長は、モッジとジラウドを有罪とした2011年の一審判決で、「法人としてのユヴェントスに対してはクラブとして不正行為に関与したという法的責任(厳格責任と呼ばれる)を問わない」とされていたことを理由として、スポーツ裁判を行ったFIGCに対し総額4億4300万ユーロという驚くべき額の損害賠償を求める行政訴訟を起こしている。

 スポーツ裁判で下された量刑の軽重に関して、議論することは可能だ。しかし、「疑わしきは罰せず」を基本とする刑事裁判においてすらユヴェントスの役員が不正行為に関与したという事実関係が認定されている以上、「疑わしきは罰する」スポーツ裁判において重い処分を受けるに値する立場にあったことに議論の余地はない。

 当時モッジやジラウドの「傲慢」や「横暴」を日常的に目にしていた筆者が、公開された計700ページに及ぶ電話傍受記録を通読してスポーツ裁判の結果を目にした時の感想は、決して重過ぎる処分ではないというものだった。これは9年経った今も変わらない。

 議論の余地があるとすれば、むしろミラン、ラツィオ、フィオレンティーナに対する処分の軽さであり、インテルの不正行為が処分の対象にならなかったことの方だろう。しかしいずれにしても、ユヴェントスには他のクラブと一線を画した重い処分を受けるだけの理由があった。FIGC首脳や審判指名責任者と癒着し、「共同謀議」と定義されるようなシステマティックなやり方で審判に様々な圧力をかけて影響力を駆使したのは、モッジとジラウドだけだったのだから。今回の判決は、それを最終的に認めるものだったと捉えるべきだろう。□

(2015年04月01日/初出:『footballista』連載コラム「カルチョおもてうら」)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。