CLもやっと再開、明日はR16の中で最も興味深い対戦のひとつ、R.マドリー対ナポリが組まれています。というわけで、そのナポリの会長アウレリオ・デ・ラウレンティスについて、6年ほど前にWSDに書いたバイオグラフィを。イタリアを代表してCLを戦うナポリとユヴェントスが、10年前の06-07シーズンには揃ってセリエBで戦っていたというのは、今振り返ると感慨深い話ではあります。

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本業はハリウッドでも一目置かれるイタリア有数の映画プロデューサー。白髪をきれいに後ろに撫で付け、服はいつも黒のクルーネックに紺のジャケットと、いかにも映画人らしい雰囲気を漂わせる。しかし、ナポリ会長としてのアウレリオ・デ・ラウレンティスは、目先の利害に振り回されることなく、長期的な視点に立って着実に成果を積み上げてきた、イタリアのクラブオーナーには珍しく冷静でビジネスに徹したやり手経営者である。

映画産業というと、どんぶり勘定で大金が動く派手で大雑把な世界というイメージがある。しかしデ・ラウレンティスは、きわめて手堅いやり方で自らの帝国を築いてきた映画人だ。

「苦い米」(1949年)、「道」(54年)から「キングコング」(76年)、「デューン/砂の惑星」(84年)、ハンニバル(2001年)まで多くの名作を生み出した名プロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティスを叔父に持つ映画人ファミリーに生まれ、1975年に自らの映画製作会社フィルマウロを設立すると、有名スターをキャストに据えた大衆娯楽映画でヒットを連発、同社をイタリア有数のフィルムメーカーに育て上げた。

最大のドル箱は、クリスマスや夏のヴァカンスを題材にした、日本で言えばかつての「寅さん」や「釣りバカ大将」にあたるようなシリーズ物のトラッシュムービー。映画の芸術性や社会性には興味がなく、ひとつの娯楽商品と割り切って売れる映画を作ることに徹する、クールでビジネスライクな姿勢を貫いてきた。

プロサッカーの世界に進出したのも、自らの情熱や名誉欲といったよくある動機ではなく、ビジネス的な関心から。映画もカルチョも、エンターテインメント・ビジネスであるという点では大きな違いはない。自らの故郷であるだけでなくイタリア3位の人口(96万人)を持つ大都市ナポリを本拠地とし、周辺都市はもちろんイタリア全国に300万人を超える熱狂的なサポーターを持つクラブを持てば、新たなビジネスチャンスにつながることは間違いない――。

そもそも、クラブの経営権を手に入れた経緯からして、きわめてビジネスライクなものだった。
旧SSCナポリが7900万ユーロの負債を抱えて破産・消滅したのは2004年夏のこと。それまで何度か、困難に陥ったクラブの買収を持ちかけられた時には一貫して断り続けてきたにもかかわらず、破産裁判所が負債を整理して旧会社の継承権を競売にかけると、すかさず「ナポリサッカー」という新会社を設立して競売に参加し、安値で競り落としたのだ。ちなみにこの競売には、元ペルージャ会長のルチャーノ・ガウッチ、当時シエナの会長だったパオロ・デ・ルーカ(故人)も参加していた。

もし彼がマラドーナ時代の栄光に郷愁を抱いているナポリサポーターだったとしたら、旧SSCナポリを破産から救おうとしたに違いない。しかしデ・ラウレンティスは、すべてを清算してゼロから新たなナポリを築くことを選んだ。マラドーナ時代の練習場もクラブハウスも、裁判所によって処分され負債の清算に充てられている。

SSCナポリという名称を継承する権利を手に入れた新会社「ナポリサッカー」は、施設から人的資産(トップチームから育成部門に至る全選手、監督・コーチなど)まで、旧ナポリの資産をほとんど引き継ぐことなく、実質的にゼロから新しいクラブを立ち上げてセリエC1(3部リーグ)から再スタートを切る。デ・ラウレンティスが最初にしたのは、クラブの経営実務を一任するゼネラルディレクター(GD)を、当時最も成功を収めていたマイナークラブであるウディネーゼから引き抜くことだった。

そのGD、ピエルパオロ・マリーノ(現アタランタ)は元々、80年代のナポリで広報スタッフとしてスタートし、その後ローマ、アヴェッリーノ、ペスカーラ、ウディネーゼでスポーツディレクターとしての実績を積んだというキャリアの持ち主。ウディネーゼではボスマン判決後にいち早く世界中にスカウト網を張り巡らせて無名のタレントを次々と発掘し、価値を高めて売却するという仕組みを築いた敏腕ディレクターだった。

デ・ラウレンティスは「私はサッカーのことがよくわからないから、信頼して任せることができる人材を選ぶことが最も重要な仕事だ。GDのマリーノには、5年間でセリエAに然るべき地位を占めるところまで行くための計画を立てるように言った。まずはクラブとしての組織と体制を整えることが重要だ」と明言、クラブ運営はエキスパートに任せ、自らは余計な口を挟まずオーナーとしての立場に徹する姿勢を取った。

クラブオフィスや練習場はもちろん、チームの選手すらゼロから集めなければならない立場からスタートした「ナポリサッカー」は、1年目こそセリエC1からBへの昇格をプレーオフに敗れて逃したものの、その後は着実に階段を上って行った。

1年目の途中にジョヴァンニ・ヴァヴァッソーリに替わって就任したエディ・レーヤ監督(現ラツィオ)の下で2年連続の昇格を果たし、5年計画の4年目にあたる08-09シーズンには、ナポリとしては6年ぶりとなるセリエA復帰を勝ち取る。ちなみに、この時同時に昇格したのは、カルチョポリでB降格を喫していたユヴェントス、ナポリ同様資金力のあるオーナーの下で急速に力をつけていたジェノアという2つの名門クラブだった。

それから4年後の昨10-11シーズン、ナポリはそのユヴェントス、ジェノアを尻目に、ミラン、インテルに次いでセリエAで3位に入り、マラドーナ時代以来22年ぶりのCL出場権を勝ち取った。昇格後4年間の歩みは、ユーヴェやジェノアと比較しても最も失敗が少なく、筋が通ったものだ。

昇格1年目に獲得したFWラヴェッシ、MFハムシク、ガルガーノは、当時はほとんど無名の若手だったが、今ではチームの屋台骨を背負う主力に成長した。その後も2年目にSBマッジョ、3年目にGKデ・サンクティス、CBカンパニャーロ、4年目の昨シーズンはFWカヴァーニと、必要なポジションにピンポイントで質の高い戦力を上積みすることで、チームの基本的な土台を保ちながら少しずつクオリティを高めてきた。

補強に失敗が少ないのは、チームのコンセプトが明快でしかも継続性があるからだろう。デ・ラウレンティス体制になってからの7シーズンで、監督交代はわずかに3回。再出発1年目(04-05シーズン)の途中に就任したレーヤは、それから08-09シーズン途中まで足かけ5シーズンに渡って指揮を執った。

そのレーヤ時代から現在のワルテル・マッザーリまで、システムはほぼ一貫して3バック。これは、デ・ラウレンティスのこだわりというわけではなく、レーヤ(彼も元々は4バック志向)が当初、引き継いだチームのメンバーを活かすために[3-5-2]を導入し、その後それを土台に組織を熟成させて行くというプロセスになったから。言ってみれば「成り行き」だが、一度流れが定まった以上は継続性と一貫性を重視して積み上げを図るというリアリスティックな経営姿勢が、今になってその果実を実らせたという印象もある。 

実際、08-09シーズンの不振でレーヤを途中解任した後に招聘し、続く09-10シーズンを任せることになったロベルト・ドナドーニが「このチームにはUEFAカップ(現EL)を目指す戦力は揃っていない」と不満を口にして、自らが好む[4-3-3]に合った選手の獲得を望んだ時、デ・ラウレンティスはそれに取り合わず、逆に開幕1ヶ月強でドナドーニに見切りをつけて、3バックの使い手であるワルテル・マッザーリを監督に迎えるという決断力を見せた。

任せるべきところは現場に任せるが、明快な経営戦略を常に保ち、ブレのない意思決定を下す強力なオーナーシップは、デ・ラウレンティスの大きな強みであり長所である。

昨シーズン終盤、ユヴェントスからのオファーに心を揺らせたマッザーリ監督が、まだあと1年契約が残っているにもかかわらず「来季もここにいるとは限らない」と口走った時には、毅然とした態度で「契約を全うしてもらう。行かせるつもりはない」と言い切り、逆にユーヴェ行きの可能性がなくなったところで報復解任しようとする強気の姿勢まで見せた(最終的には留任が決定)。ハムシク、ラヴェッシといった主力に対するメガクラブのアプローチに対しても態度は同じ。「ハムシク?パトと交換でもミランに出す気はない」という具合だ。

ザンパリーニ(パレルモ)、プレツィオージ(ジェノア)、デッラ・ヴァッレ(フィオレンティーナ)といった他の中堅クラブのオーナーは、メガクラブからの引き抜きに抵抗してまで主力を引き止め、本気でスクデットを狙ってチームの強化に取り組む姿勢を見せようとはしてこなかった。しかしデ・ラウレンティスは、本気でナポリをメガクラブに対抗する勢力に育て上げようとしているように見える。

クラブの経営状態は健全で、UEFAのファイナンシャルフェアプレーが導入されても、リストラを強いられることはない。売上高は1億ユーロを超えてヨーロッパのトップ30に入っており、来季のCL出場で分配金が入ればトップ20入りも夢ではない。当分の間、ナポリ、そしてデ・ラウレンティスがセリエAの台風の目であり続ける可能性は高い。■

(2011年7月9日/初出:『ワールドサッカーダイジェスト』)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。