用語集を続けます。5回目はプレッシングpressing。イタリアと言いつつ英語ですが、現代サッカーにおいて最も重要な守備戦術であるだけでなく、80年代末にその完成形を示したのがアリーゴ・サッキ率いるミランだったということで、れっきとしたイタリアサッカー用語と言えるのでした。

bar

——————————
<プレッシング pressing>
複数の選手が連動した動きによって敵のボールホルダーとその周辺の選手にプレッシャーをかけることで、ボールをプレーするスペースと時間を縮小し、能動的にボールを奪取するための守備戦術。
——————————

「サッキのミラン」は、最後尾にリベロを置いたマンツーマンディフェンスが主流だった80年代後半、70年代のアヤックスとオランダ代表による「トータルフットボール」の守備戦術を発展させて、ゾーンディフェンスの4-4-2システムによる前線からの組織的なプレッシングを導入し、ヨーロッパ、そして世界のサッカー界に革命を引き起こした。

守備戦術としてのプレッシングの革新性は、「個」の力ではなく「組織」の力によって、そして「受動的」にではなく「能動的」にボールを奪取するという2点に集約される。

「個」から「組織」へというのは、マンツーマンディフェンスからゾーンディフェンスへの移行に対応している。個々の守備者が基準となる相手を持ちその相手を「マーク」するマンツーマンディフェンスにおいて、ボール奪取は、ピッチ上で次々と展開される「1対1」の結果として実現される。

しかしゾーンディフェンスにおいては、守備者はボールを第一の基準としつつ味方の選手とゴールの位置を勘案してポジションを取り(修正し)、相手がゴールに向かってプレーするスペースを組織的に埋めることで、ボールを奪取するための環境を整えようとする。ボールを失った後、チーム全体が一旦リトリートして守備ブロックを形成し、相手を待ち受ける形がその典型だ。

プレッシングは、スペースを埋めて相手を待つという「受動的」な守備から一歩進んで、複数の選手が組織的に動いて「能動的」にボールを奪取する戦術である。

具体的には、ボールホルダーに複数の選手がプレッシャーをかける(時間とスペースを奪う)と同時に、他の選手がその周囲にいる相手へのパスコースを塞ぐ(プレーの選択肢を限定する/奪う)ことで困難に陥れ、ボールを奪える状況を作り出す。

言ってみれば、攻撃だけでなく守備の局面においても、自分たちが主導権を握って戦うための戦術である。「攻撃的な守備」という一見矛盾する表現があてはまるのは、守備戦術の中でもこのプレッシングだけだろう。

ひとことでプレッシングと言っても、その開始点をどこに設定するかによっていくつかのタイプに分けられる。一般的には、プレッシングの開始点は高いほどいいと考える向きも少なくないが、話はそれほど単純ではない。

チーム全体を高く押し上げ、敵の最終ラインがボールを持ったビルドアップの初期段階からプレッシャーをかけて敵陣内でボールを奪おうとする、いわゆる「ハイプレス」戦術には確かに、短時間でボール支配を回復できる、敵ゴールに近いところでボールを奪える、相手を自陣に押し込め主導権を奪うことで精神的にも優位に立って戦えるなど、様々な長所がある。

しかしその一方で、肉体的消耗が大きい、最終ラインの後方に広大なスペースを残してチームを押し上げるため、プレスの第1波でボール奪取に失敗し包囲網の外にボールを持ち出されてしまうと一気に裏のスペースを攻略される危険があるなど、長所と引き換えに背負わなければならないリスクもまた大きい。「ハイリスク・ハイリターン」なのである。

ハイプレス戦術を基本に据えて戦っているチームがヨーロッパを見回しても決して多くないのは、この長所とリスクの帳尻をプラスにして結果に結びつけるのが決して簡単ではないからだ。

代表的なチームとして思い浮かぶのはバルセロナ、アーセナル、ドルトムントなどだが、この3つのチームは、リーグの中でも個々の選手のクオリティが最も高い部類に入る、狭いスペースでパスをつないで相手を崩せるテクニックを備えている、スピードのあるDFを擁しているといった共通点を持っている。事実これらの要素は、ハイプレス戦術を行うためには必要不可欠な条件だと言ってもいい。

チーム全体を敵陣に押し上げ、相手を狭いスペースに押し込めるということは、ボールを奪って攻撃に転じた時にも、自分たちの周囲には狭いスペースしかないということだ。

そこでボールを保持して局面を打開するだけの力を備えていなければ、ボールを奪ってもまたすぐに奪い返され、それを繰り返しているうちに陣形が崩れてカウンターから失点するという結果に終わることは目に見えている。

また、試合開始からの45分なり60分なりは、ハイプレスを機能させて敵を困難に陥れても、体力を消耗した終盤に運動量が落ち相手にスペースを与えて失点するというのも、非常によくあるパターンだ。

プレッシングそのものは、ボールを必要としない守備の戦術であり、運動量やアグレッシブネスといったフィジカル的な資質を要求するように見える。

しかし実際のところ、ハイプレス戦術を機能させるために不可欠なのは、フィジカル以上に技術的な優位、すなわち奪った後に狭いスペースを打開できる高いテクニックであり、ボールポゼッション能力なのだ。世界で最も効果的にこの戦術を機能させているのがバルセロナだというのは、だから偶然でも何でもない。□

(2012年5月13日/初出:『SOCCER KOZO』)

By admin

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。