今から6年前、チャンピオンズリーグのプレーオフが「中位国のリーグチャンピオン枠」と「上位国の非チャンピオン枠」に分かれて、中堅・弱小国のクラブがCL本戦に出やすくなったのを受けて、その制度改革の是非を論じたテキスト。意見は今も変わっていません。

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今シーズン(09-10)からのレギュレーション変更により、中堅・弱小国のクラブにCL本戦参加の門戸が広げられた結果、CLというコンペティションの内部における強者と弱者の「格差」が拡大したことは、否定のしようがない。グループリーグで一方的な内容の試合が増え、ベスト16の顔ぶれが固定化するという近年の傾向は、より顕著になることはあっても緩和の方向に向かうことはないだろう。

しかし、この「格差拡大」は、果たしてネガティブに捉えるべきものなのだろうか?筆者はその問いに敢えて「NO」と答えたい。それどころか、「CLの格差拡大は善であり正義である」と断言してしまいたい。もちろん、そう言い切るには相応の根拠がある。

もし「欧州最強クラブ決定戦」という側面だけに目を向けるならば、そしてCLを単にひとつのエンターテインメントとして捉え、強いチーム、凄いプレーだけを追求するならば、弱小クラブの存在はネガティブなものにしか見えないだろう。興行的な観点だけに立てば、UEFAランキングの1位から32位までのチームを集めるのが、格差が小さく見どころの多いコンペティションを作る最も手っ取り早い方法かもしれない。

しかし、UEFAがそうした方向性、すなわちCLのビジネス的な価値を最大化しようという路線を取る気配はまったくない。それどころか、自らにとって最大のドル箱であるCLの興行的なクオリティを下げてまで、より多くの中堅・弱小国のクラブに門戸を開くという、一見すると矛盾するような改革に踏み切った。

前回、CLのフォーマットに大きな変更があったのは今からちょうど10年前、カップウィナーズカップの廃止とCLの32チーム制への拡大によって「欧州三大カップ」の時代に終止符が打たれた99-00シーズンのことだ。

この時の狙いは、より多くのビッグクラブがCLという「カネになる」大会に参加できるようにするため、残る2つの大会を切り捨て/格下げして、ビジネスをCLに一極集中させることにあった。「ビッグクラブ主導、ビジネスの論理優先」という、世紀末から00年代前半の欧州サッカーの流れが決定的になったのが、まさにこの時だった。

それから10年を経た今、欧州サッカー界はどうなっているだろうか?

このビジネスの恩恵を受けて膨れ上がった一握りのビッグクラブが2億ユーロを超える売上高を叩き出す「メガクラブ化」を果たして、CLのベスト8を独占しビッグイアーを分け合う一方で、この流れについて行けなかった大部分のクラブとの間に大きな格差を作り出し、持てるものと持たざるものへの二極化を進行させた。国レベルで見ても、三大リーグにブンデスリーガを加えた4カ国とそれ以下との格差は、明らかに拡大傾向にある。

ミシェル・プラティニは、2006年にUEFA会長に就任して以来、こうした「強者による独占と弱者の衰退」に流れに歯止めをかけるための施策に積極的に取り組んできた。

このCLのレギュレーション変更、G-14の解散と欧州クラブ連盟の設立、UEFAカップからヨーロピアンリーグへの改革、そして欧州選手権(EURO)の出場国拡大(16→24)まで、すべての取り組みは、「ビジネスの論理によるメガクラブの競争と寡占から、スポーツの精神に基づく欧州サッカー全体の協調主義的な共存共栄へ」という明確なベクトルを持っている。

CL本戦に参加してグループリーグ6試合を戦えば、そのクラブにはUEFAから少なくとも1500万ユーロの分配金が入る。年間予算が数千万ユーロのクラブにこれだけの収入があれば、目先の選手補強だけでなく施設の整備や育成部門への投資などによって、クラブとしての体力を強化してレベルアップする十分なきっかけになり得る。そして何よりも、ヨーロッパ最高の舞台で名うての強豪と戦うという経験は、クラブにとってもサポーターにとっても都市にとっても、大きな財産となるだろう。

今回のレギュレーション変更の背景に、より多くの国のクラブにそうした機会を提供することを通じて、中堅・弱小国の底上げによる欧州サッカー全体の繁栄を目指すという理想があることは、改めて確認しておく必要があると思う。

さらに付け加えるならば、商業的成功だけを追求するのではなく、欧州フットボール全体の健全な発展に最も高い優先順位を置くという姿勢は、「カネのためなら何をしても許される」という昨今の世界的な風潮に対するアンチテーゼになっていると言うことだって可能だ。弱肉強食の自由競争よりも、共同体全体の利益と最大多数の幸福を追求する方がずっと正しいあり方だという考え方には、今や多くの人々が共感できるはずだ。

言うまでもないことだが、ひとくちに「格差拡大」と言っても、われわれの社会・生活におけるそれと、今CLについてここで取り上げているそれとは、まったく意味合いが違う。

いま世の中で起こっている格差の拡大は、強者が弱者を踏み台にしてより儲けることを許容した結果だという点で、欧州サッカー界における「ビジネスの論理によるメガクラブの競争と寡占」とパラレルである。

そしてプラティニが今回踏み切ったのは、CLという小さなコップの中で一時的に格差拡大を許容することを通じて、欧州サッカー界全体に広がるより大きな格差を縮小する方向に導こうとする取り組みだ。しかもこのレギュレーションは、弱者にチャンスを与えることで自力で強くなるきっかけと支援(具体的にはUEFAからの分配金)を提供する仕組みであり、単なる弱者救済のためのバラマキとはわけが違う。

そうした総合的な文脈に立って考えれば、たとえ目先のグループリーグで一方的な試合が多少増えようが、当面ベスト16の顔ぶれに変化がなかろうが、この格差拡大を受け入れ、それが欧州サッカー界にもたらすに違いない緩やかな変化を温かく見守りたいという気持ちにもなろうというものだ。あえて「このCLの格差拡大は善であり正義である」と断言するのも、まさにそれゆえである。□

(2009年9月19日/初出:『footballista』)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。