2010年10月、ジェノヴァで行われたEURO2012予選イタリア対セルビアが、セルビア・ウルトラスの妨害行為によって中止、没収試合になるという事件がありました(公式記録上はイタリア3-0セルビア)。その背景に何があったのかを、当時のイタリアのマスコミ報道をベースにまとめたテキスト。

ちなみに、この妨害行為を指揮した黒覆面の男イヴァン・ボグダノフは、昨年のセルビア対アルバニア(アルバニア国旗を下げたドローンがピッチ上に侵入、乱闘が起こって中止・没収になった)でもピッチに乱入して指名手配されていましたが、『オシムの言葉』などでおなじみの国際ジャーナリストにして元日本代表通訳の千田善氏によると、昨日やっと警察に出頭した模様)。

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セルビアウルトラスの暴力行為により中止になった10月12日のユーロ2012予選イタリア対セルビアに関する処分が、29日のUEFA規律委員会で決定する。

UEFAの調査官による「求刑」は、この試合を3-0でイタリアの不戦勝とし、セルビアには向こう2年間のUEFAコンペティション出場停止、イタリアにも向こう2試合の無観客試合をそれぞれ執行猶予付き(次に不祥事が合った場合に適用)で課するというもの。セルビアの再試合要求は当然のように却下されている。

試合当日のジェノヴァで何が起こったかは、すでに様々なところで報道されている通り。スタジアムのメインスタンド北端に設置された「ガッビア(檻)」と呼ばれるアウェーサポーターセクションで、セルビアのウルトラスが発煙筒や爆竹を隣のゴール裏スタンドやピッチに投入するなどの妨害行為を続け、開始6分に主審が試合の中止を宣言。

両チームや観客が去った後のスタジアムでは、約1800人のセルビアサポーター全員に対するボディチェックと身元確認が行われたが、そこでも100人あまりのウルトラスと警官隊が衝突し、最終的に事態が収拾を見たのは深夜2時半になってからのことだった。

そもそもどうしてこのような事件が起こったのか、その背景はかなり複雑なものだ。イタリア、セルビアの双方にそれぞれの事情があるからだ。

イタリア側のそれは純粋に警備上の問題である。そもそも、あれだけの発煙筒や爆竹、果てはナイフや工具類までがスタジアムに持ち込まれたということ自体、本来ならあり得ない話。これは、セルビア警察との連携が十分に取れておらず潜在的な危険に関して必要な情報が得られていなかったこと、それもあって警察側の見込みと準備が甘くスタジアム入口でのフィルタリングがまったく機能しなかったことが最大の原因だ。

ジェノヴァのスタディオ・ルイジ・フェラーリスは、市街地の住宅密集地域に立地しているためスタジアム周辺のスペースがきわめて限られている。その中で2000人近いセルビアサポーター(そのうち百数十人のウルトラスは昼間から飲酒を重ねてジェノヴァ市内で暴れるなど、すでに興奮状態にあった)を一人ひとりチェックするためには、十分な動員と周到な準備が必要だった。ところが警察隊は暴力的なウルトラスが大挙してやってくる事態を想定しておらず、対応が完全に後手後手に回ってしまった。

事件の翌日、警察の総責任者であるマローニ内務大臣は「警察隊はできる限りの手を尽くし、『ヘイゼルの悲劇』が繰り返されるのを避けた」と、半ば開き直りじみたコメントを出し、警察の対応を擁護した。

「ガッビア」の中で暴徒化したウルトラスがピッチや一般席に侵入していたら、一般の観客まで巻き込む大惨事に至っていた可能性は確かにあった。しかし、警備上の不手際はあまりにも明らかであり、ユーロ予選という重要な公式戦でこのような事態が起こったという事実だけでも、イタリアがUEFAから処分を受ける理由としては十分だろう。

翌日以降、イタリアとセルビアの警察当局、そしてサッカー協会の間では責任のなすり合いが展開されたが、責任が双方にあったことは明らかだ。最終的にイタリア警察に拘束された150人近いセルビアウルトラスの中には、本国で何度も暴力事件に絡みブラックリストに載っている筋金入りの過激分子が少なからず含まれていた。しかしその情報がイタリア内務省に伝えられたのは、試合当日、しかもすでにジェノヴァ市内で彼らが暴れ始めてからのことだった。

スタジアムでピッチと「ガッビア」を隔てるフェンス上に陣取り、ネットを切り裂いたり発煙筒をピッチに投げこむなどして注目を集め、今回の事件の「主役」というべき存在だった黒覆面のリーダーも、その過激分子の1人。

イワン・ボグダノフという30歳のこの男は、レッドスター・ベオグラードのウルトラスで、極右民族派として知られるウルトラ・バッド・ボーイズのメンバー。翌日のマスコミは、深夜になって逮捕され、覆面をはがされて取材陣の前に引き出された彼の素顔を大々的に報じた。

このボグダノフを筆頭とするセルビアウルトラスの行動が、試合を中止に追い込むことを目的としていたのは明らかだ。それにしても、ベオグラードから1000km以上も離れたジェノヴァにセルビアのサポーターとして乗り込みながら、そのセルビアに決定的なダメージを与えるような行為を敢えて働くというのは、普通では考えられない。

その理由として表向き挙げられている「サッカー的な」理由は3つある。まず、4日前の試合でエストニアに不甲斐なく敗れたセルビア代表に対する抗議。次に、その敗北の「戦犯」であるだけでなく、レッドスター出身でありながら今季からパルチザンでプレーする「裏切り者」のGKストイコヴィッチに対するレッドスターウルトラスの怒り。そして、ウルトラスの支持を受けてきたアンティッチ前監督を解任したセルビアサッカー協会のトミスラフ・カラジッチ会長に対する報復。

しかしこのどれも、試合を中止に追い込むほどの妨害行為の動機としては説得力を欠くように思われる。実際、イタリアメディアによるその後の報道を追って行くと、この事件のもっと大きな背景にある政治的な構図が見えてくる。

試合後、警官隊に抵抗して小競り合いを起こし身柄を拘束された138人は、その大部分がレッドスター、パルチザンというベオグラードの二大名門クラブのウルトラスだった。解せないのは、普段は対立関係にあってダービーでは「武力衝突」を繰り返す仲であり、今回もストイコヴィッチを巡っては正反対の立場にあるにもかかわらず、スタジアムでの「破壊工作」においては共闘関係を保っていたこと。この共闘を支えているのは、どうやら、極右民族主義という政治的立場だ。

セルビアは2004年以来、西欧・アメリカ寄りの民主主義勢力である民主党のボリス・タディッチ大統領が政権を握っており、ミロシェヴィッチ独裁政権下での民族浄化に関わった戦犯の国連引き渡し、コソヴォ独立の承認などを通じて国際社会にアプローチし、EU加盟を果たして経済の発展を図ろうとしてきた。

これに反対する最大勢力が、ミロシェヴィッチ直系で今はロシアのプーチン大統領を後ろ盾に持つ進歩党。現党首で2008年の大統領選挙でタディッチと争ったトミスラフ・ニコリッチは極右民族主義勢力とのつながりが強く、オランダのハーグにある国連の旧ユーゴ国際戦犯法廷から訴追を受けてもいる。現政権が進めようとしている戦犯引き渡しやコソヴォ独立承認は、彼らが信奉する大セルビア主義からすれば到底受容できるものではない。その延長にあるEU加盟にももちろん反対で、むしろロシアとの連携を強めることで西欧主導の欧州情勢にクサビを打ち込もうとする立場を取っている。

おりしも10月25日には、ブリュッセルで開かれるEU外相会議においてセルビアのEU加盟承認についての審議が議題に上っており、11日にはアメリカのヒラリー・クリントン国務長官がベオグラードを訪れてEU入り支援を表明したばかり。イタリアやセルビアのメディアの中には、今回のジェノヴァでの「暴動」は、EU加盟への流れを妨害し現政権の打倒を狙う反対勢力がウルトラスを実動部隊として引き起こしたものだという見方をする向きが少なくない。

事実、両チームのウルトラスを中心とする極右勢力は、クリントン訪問の前日(10日)にも、ベオグラードで行われた同性愛者のパレード「ゲイ・プライド」を襲撃して警官隊と衝突、民主党の本部ビルを焼き打ちする事件を起こしている。この2日後に彼らがジェノヴァで引き起こした混乱がそれと無関係だと考えることは難しい。

もちろん、進歩党やニコリッチがこうした「破壊活動」を直接支援しているわけではないだろう。しかし、それによって最も大きな利益を被るのが彼らであり、また活動の実動部隊が彼らの支持者であるというのは、ひとつの動かし難い事実だ。

ゲイ・パレード襲撃を計画・指揮したとされるのは、セルビア正教とファシズムを信奉する民族主義グループ「オブラズ」のリーダーであるムラディン・オブラドヴィッチ。「オブラズ」はパルチザンの主流派ウルトラス「グロバリ」、レッドスターの「デリエ」「ウルトラバッドボーイズ」にも強い影響力を持っているとされる。

さらに、こうした実動部隊を背後で動かしている最も大きな存在と目されているのは、南米から大量のコカインを輸入しヨーロッパ中に売り捌くセルビア麻薬マフィアの元締め、ダルコ・サリッチだ。セルビア警察から国際指名手配を受けて逃亡生活を続けているにもかかわらず、現在も強大な支配力を持っていると言われる。

ここで見えてくるのは、極右民族主義の政治勢力、地下経済を牛耳るマフィア、そしてそれらの実働部隊として暴力を働くウルトラスという三角形の構図だ。ベオグラード在住の劇作家で西欧社会に向けたオピニオン発信者として知られるビリヤナ・スルブリャノヴィッチは、事件の2日後イタリアの『ラ・レプブリカ』紙に寄せた手記の中でこう書いている。

「ジェノヴァでの暴力は、ベオグラードで起こっている継続的な政治的挑発の一環だ。暴動を起こした連中はある政治勢力によって組織され資金を与えられている。フーリガンに指示を出し資金を提供した人物は、ヨーロッパに向けて、セルビアがEUに加わることは決してない、というメッセージを送ろうとしている。EUがセルビアの加盟申請を受理しようとしているまさにその時、暴力がエスカレートし始めた。
EU加盟は国連への戦犯引き渡しを意味してもいる。セルビアの政界には、国際戦犯法廷から身を護らなければならない人物がうようよしている。ベオグラード、ジェノヴァ、そしてハーグは1本の糸でつながっているのだ。セルビアがこの闇から抜け出す大きな機会を彼らが損なうことを許してはならない。そう国際社会に訴えたい」■

(2010年10月23日/初出:『footballista』連載コラム「カルチョおもてうら」)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。