アジアカップでW杯ギリシャ戦のことを思い出したので、グループステージ敗退後に書いたザックジャパンの総括もここで上げておきます。エルゴラに掲載されたのは、日本代表に関する部分だけでしたが、ここではイタリア代表を引き合いに出した導入部分も加えたフルバージョンを。ここで書いた結論部分に関しては、現在も考えは変わっていません。ちなみにザッケローニについては、W杯直前に『増補完全版 監督ザッケローニの本質』というバイオグラフィも上梓していたのでした。

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クイアバで日本がコロンビアの前に屈したその2時間前、ナタウではイタリアがウルグアイに0-1で敗れて、同じようにグループステージ敗退を喫した。

同じイタリア人監督の下で、同じようにポゼッション志向のテクニカルなスタイルを掲げながら、それをピッチ上で表現し切れなかったという点で、両者のワールドカップは似通っているようにも見える。しかし、それぞれの国のサッカーにとってこの敗退が持つ意味合いは、大きく異なっている。

8年前のドイツを含め過去4回優勝しているイタリアにとって、前回の南アフリカに続くGS敗退は大きな屈辱だが、同時に、強豪国の看板に胡坐をかいて変革を怠ってきたサッカー界が機能不全に陥りつつあるその必然的な結果だった。

かつて「世界で最も美しいリーグ」と呼ばれたセリエAは、UEFAカントリーランキングでも観客動員数でもイングランド、スペイン、ドイツに水をあけられて久しい。どのクラブも目先の勝利に拘泥するあまり育成部門を軽視して来たそのツケは、ドイツで優勝を経験したブッフォン、ピルロ、デ・ロッシらオーバー30に続く世代に、ワールドクラスと呼べるプレーヤーが皆無という深刻な現状をもたらしている。

2010年に就任したプランデッリ監督は、そうした状況を踏まえて代表主導でカルチョの世界に改革の風を吹き込もうと、イタリアサッカーの伝統的なスタイル(堅守速攻・攻守分業)とは異なるポゼッション志向のスタイルを代表に導入した。

EURO2012の準優勝でその最初の果実が実ったようにも見えたのだが、今大会では、個のクオリティの低下に加えて、主力の故障離脱、一部選手の逸脱行為によるチームの内紛などで、戦術プロジェクトそのものが空中分解するという最悪の結末を迎えることになった。その意味でイタリアにとってこの敗退は、強豪国の斜陽を象徴する出来事だったと言うこともできる。

一方、日本にとってこの敗退は、弱小国が中堅国として世界にその地歩を築く成長のプロセスにおいて否応なく直面するべき、ひとつの通過儀礼という意味合いを持っているように思える。

プランデッリと同時期に就任したザッケローニが取り組んだのは、ヨーロッパの基準で日本のサッカーを観察し、その長所や持ち味を最も効果的に引き出し活かす戦術プロジェクトを構想して、明確なスタイルとアイデンティティを持ったチームを作り上げることだった。

日本人の特徴を活かして戦うべき、という抽象的な議論はそれまでもあったが、それを具体的なサッカーのコンセプトとスタイル、戦術というピッチ上のレベルにきちんと落とし込んでチームを構築し、ひとつの完成形を示したのは、日本代表史上ザッケローニが初めてだと言っていい。

その総決算たるべき今大会の結果は確かにネガティブなものだった。しかしだからといって、ザッケローニが打ち出したコンセプトとスタイルが間違っていた、あるいは世界に通用しなかった、と結論づけるのは早計に過ぎると思う。

結果が出せなかったのはむしろ、チームが本来の力をピッチ上で十分に表現できなかったからだ。それは、それをさせてくれないほど相手が強かった、主力のコンディションが十分ではなかった、気候やピッチコンディションによってフィジカル勝負を強いられた、試合の中での采配が的中しなかったといった「ディテール」に依存する部分であって、サッカーのスタイルやコンセプトにかかわる部分ではない。

もしコンセプトの部分から間違っていたというのならば、じゃあ例えば韓国のように185cmクラスの大型選手を集めて走力と運動量に依存するフィジカルなサッカーに路線転換するのか、あるいはギリシャやウルグアイのように徹底した堅守速攻のスタイルを追求するのか、という話になる。それは違うだろう。

この4年間、さらに言えばJリーグ発足以来20年間を通しての日本サッカーの成長スピードは、世界にも例がないものだった。今や日本は、メキシコやUSA、ナイジェリアやガーナと同じように欧州・南米を除く世界を代表するワールドカップ常連国のひとつとなり、参加するだけでなくベスト16を現実的な目標に掲げ、さらにはベスト8をうかがおうという存在になった。これは誇るべきことだ。

しかし今大会が教えてくれたのは、ここから先はもはやこれまでのような「右肩上がり」の成長を期待したり要求しても仕方がないということ。今後日本のライバルになるのは、ヨーロッパならベルギーやクロアチア、南米ならコロンビアやチリ、それ以外ならメキシコやガーナといった中堅国だ。競争は厳しく、壁は厚い。

直視すべきなのは、今大会でこうした国々と日本の間にあった最も大きな差は、スタイルでも戦術でもないということ。日本は組織的なオーガナイゼーションという側面では今回対戦したどの国にも引けを取っていなかった。

最も足りなかったのは「個のクオリティ」だ。ドログバやジェルビーニョ、ハメス・ロドリゲスやクアドラードといった、独力で局面を打開して違いを作り出す圧倒的な個人能力を持つプレーヤーを、我々は持っていない(残念ながら本田や香川はそこまでではなかった)。そして彼らのような選手がいなければ、ベスト16はともかくベスト8より上を目指すことは困難だというのが、ワールドカップの現実だ。

「個のクオリティ」を生み出すのは、その国が持つサッカー的なポテンシャル、いわば「サッカー的国力」である。それは一朝一夕に手に入るものではない。サッカーの底辺を拡げ、育成のシステムを整備し、国内リーグを繁栄させるといった努力を、それぞれの立場から力を合わせて地道に続けて行く以外に道はない。

日本はこれから当分の間、4年毎に訪れるワールドカップで、グループリーグを突破したりしなかったり、本当に運が良ければベスト8まで勝ち上がったりという浮き沈みを繰り返して行くことになるだろう。それは例えばメキシコやベルギーといった「一流の中堅国」がたどってきた道でもある。

日本サッカーは「成長」の時代を終えて「成熟」の時代を迎えようとしている。目先の勝ち負けに一喜一憂することなく、地に足をつけて「サッカー的国力」の充実に取り組んで行くこと、それをそれぞれの立場からサポートしていくことが必要とされている。□

(2014年6月26日/初出:『エル・ゴラッソ』)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。