冬休み読み物特集第6弾は、カルロ・アンチェロッティ(レアル・マドリー監督)が、ミラン監督時代にパオロ・マルディーニについて語ったインタビュー。監督として二度目となったチャンピオンズリーグ制覇(06-07シーズン)から間もなく、DVDつきムック『サッカーベストシーン11:マルディーニ』(今もAmazonなどで購入可)のために取材したものです。

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——アテネで、表彰式のためにスタンドに上がる直前、あなたとマルディーニが肩を抱き合うシーンがTVに映りました。単なる監督とキャプテンの関係を越えた、深い絆を感じさせる美しい場面でした。
「パオロとの関係はもう20年にもなるからね。彼がまだ若い頃、ミランで5年間一緒にプレーして、代表でも最初はチームメイトとして、その後はコーチと選手という関係で共に過ごした。その後私が監督としてミランに来たわけだが、関係は昔とまったく変わらないままだ。監督と選手、という上下関係ではなく、同士と言った方がぴったり来るかもしれない」

——マルディーニは、膝の故障を押しての出場だったわけですが。
「あの決勝でプレーするために、あらゆる努力を惜しまなかったからね。長年のキャリアの中で酷使してきたおかげで、膝に遊離軟骨ができて、大きな負荷がかかるとすぐに炎症を起こしてしまう。もはや慢性的なものだから、膝が腫れないようにするため特別に組まれたトレーニングを毎日積み重ねなければならないし、それでも週に1試合が限界だ。本来ならば手術で除去しなければならないのだが、そうすると決勝を諦めなければならなかった」

——マンチェスターでの準決勝第1レグでは、前半だけでピッチを退いています。その後すぐに、決勝をターゲットにした特別メニューがスタートしたわけですね。
「そうだね。フィジカルコンディションを落とさないようにある程度身体を動かしながら、しかし膝に負荷をかけないようにしなければならなかったから、ジムやプールや砂場でのトレーニングが主体になった。1日に何時間もそれをやるのは退屈で辛いものだが、パオロは愚痴ひとつ言わずに取り組んでいたよ。チームに合流して練習したのは、最後の2日間だけだった」

——マルディーニにとっては通算5回目、キャプテンとしては2度目のビッグイヤーでした。今回の勝利は彼にとってどんな重みを持っていたと思いますか?
「彼自身を、そしてチームを襲った様々な困難を克服して掴んだという意味で、ひとつのリヴェンジともいえる勝利だったのではないかな。膝の故障を克服して勝ち取ったというだけでなく、シーズン前半に大きな不調に陥った時には、こんな高齢化したチームはもうダメだ、と散々言われたわけで、そうした声をこの勝利によって見返したという側面もあっただろう。38歳という年齢でこのビッグタイトルをもう一度勝ち取ったこと自体、誇るべき偉業であることは間違いない」

——あなた自身、マルディーニが決勝のピッチに立つことを強く望んでいました。
「当然だろう。コンディションさえ十分ならば、今でも世界指折りのディフェンダーなんだからね。38歳になっても、パワーや瞬発力はほとんど衰えていない。そして何よりも、非常に強いパーソナリティを持ったプレーヤーであり、こうした重要なビッグマッチに臨む上で、彼のリーダーとしての存在感はチームに大きな安心と信頼をもたらす。常にポジティブな模範となり、周囲の尊敬を集めてチームをまとめていく優秀なキャプテンだ」

——決勝でのプレーは、期待に十分応えるものでした。
「十分以上にね。前半、激しいプレスに晒されて、攻撃の組み立てに苦労したところはあったが、守備の局面に関しては、特に後半はほぼ完璧だった」

——試合の後、何か彼と話をしましたか?
「特別には何も。他の選手たちと同じように勝利を喜び合った。ああいう時には言葉は必要じゃないからね。一緒にいるだけで気持ちが通じるものだ」

——今シーズンのミランは、話に出た通り、前半戦に大きな困難に陥りました。不振を克服してチャンピオンズリーグ優勝という大きな結果を勝ち取るまでのプロセスで、マルディーニはどんな役割を果たしたのでしょう?
「パオロは、このチームの可能性を最も強く信じていた中の1人だった。今シーズンはピッチに立つ機会は決して多くなかったが、常にチームの中にいて回りを鼓舞し、いつも100%の力で練習に取り組む姿を通じて、チームメイトにとっての模範であり続けた」

——マルディーニは、元々それほどリーダー向きの性格ではないようにも見えます。彼はチームの中で、どんな風にリーダーシップを発揮しているのでしょう?
「確かにパオロは、決して自ら先頭に立ってチームを引っ張っていくタイプではない。長年プレーする中で、少しずつリーダーとしての振る舞いを身に付けてきたと言った方がいいだろう。口数は決して多くない。ピッチの上では常にコーチングの声を切らせないが、ピッチを離れれば余計なことは口にしないタイプだからね。しかし、プロとして自分を律しサッカーに打ち込む姿勢、毎日のトレーニングに取り組む姿勢は、誰にとっても模範となるものだ。パオロをリーダーたらしめているのは、何よりもそうした振る舞いだ。もちろん、ピッチの上での存在感は群を抜いている」

——あなたがローマからミランに選手として移籍してきた時、マルディーニはまだ19歳の若手でした。当時のマルディーニについて聞かせて下さい。
「もうすでにレギュラーだったけれど、内気で控えめな印象だった。今のような存在感やカリスマ性は持っていなかったが、ピッチの上ではそのタレントを存分に発揮し始めていたよ」

——どんな若者でしたか?
「本当に普通の若者だよ。普通すぎるくらい普通だ。それは当時も今もまったく変わっていない」

——元々右利きであるにもかかわらず、今では姿勢や身のこなしまでほとんど左利きのように見えるほどです。その裏にはどんな努力があったのでしょう?
「ずっと左サイドでプレーして来たからね。マルディーニがトップチームに上がった当時、右サイドにはタソッティが、中央にはバレージとフィリッポ・ガッリがいて、最終ラインで空いているポジションは左サイドだけだった。リードホルム監督はそこでマルディーニを使い始めて、左足の技術練習を集中的にやらせたそうだ。左右両足を自在に使ってプレーできるようになったのは、その努力の賜物だ。

——21歳、22歳の時点で、すでに世界有数の左サイドバックに成長していました。左SBとして最も優れていたのはどんな点だったのでしょう?
「ディフェンスの安定感とミスのなさ、そして持ち前のパワーとスピードを生かした攻撃参加だ。クロスも、世界最高峰とはいえないまでも左右両足ともに正確だし、ヘディングも強い」

——94年のワールドカップでは、バレージの怪我を受けてセンターバックとしてプレーしました。あれがCBとしての本格的なデビューだったわけですが。
「あのワールドカップでのプレーは、CBとしても世界レベルで通用することを証明するものだった。実際、今はもっぱらCBとしてプレーしている。ただ当時は、今と比べるとずっとフィジカルにモノを言わせるプレースタイルだった。若かったし、パワー、スピード、ダイナミズム、すべてがトップレベルにあったからね」

——それから8年経って、あなたがミランに監督として戻ってきた時、マルディーニは33歳になり、ポジションもサイドバックからセンターバックに変わっていました。
「今のマルディーニは、フィジカルよりも経験と判断を生かしてプレーするCBだ。ラインコントロールをはじめ、周囲の使い方もずっと上手くなった。フィジカル的には、さすがに全盛期のダイナミズムは失ったが、それを補って余りある戦術的インテリジェンスを備えている」

——パオロ・マルディーニというディフェンダーを、どう評価できるでしょう?
「技術、戦術、フィジカル、どの角度から見ても、私が今まで見て来た中で最高のディフェンダーであることは間違いない。今でも、膝の状態さえ許せばサイドバックとして十分プレーできるポテンシャルを持っているからね。ずっと左サイドでプレーしてきたが、潜在的には右でも問題なくプレーできる。ディフェンスのあらゆるポジションで最高レベルのパフォーマンスを見せることができるプレーヤーは、パオロ以外にはいないだろう。しかし一番凄いのは、この20年間、常にトップレベルのプレーを見せ続けてきたことだ」

——今のミランにとって、テクニカルな意味でマルディーニはどのような存在なのでしょう?
「マルディーニとネスタは、今でもなお世界最高のCBペアのひとつだ。高さ、強さ、速さを備え、しかも戦術的にも常にプレーが的確で、おまけにミスが非常に少ない。これだけ安定感のあるCBペアは世界を見回してもほとんどいないだろう。マルディーニには、クロスが入った時にマークがズレやすいという小さな弱点があるが、それ以外は文句のつけようがない」

——ミランの監督1年目、マルディーニは膝を傷めてシーズンの半分を棒に振りました。復帰直後に参加した日韓ワールドカップでは、本来のプレーとはほど遠いパフォーマンスしか見せることができなかった。
「いくつかミスをして厳しく叩かれたのは確かだ。しかし、それが代表引退の理由ではないだろう。長年代表でプレーしてきて、年齢的にもモティベーション的にも、これ以上クラブと代表を両立させていくのが難しくなってきたのを自覚して、ミランでのプレーに専念することを決心したのだと思う」

——その決断についてどう思いますか?
「尊重されるべきだと思う。10年以上にわたって代表に大きな貢献を果たしてきた選手が、敢えて身を引くと決めたわけだから」

——実際、その1年後にはミランのキャプテンとしてビッグイヤーを天に掲げることになりました。
「同じイングランドの地で、40年前に父親が掲げたのと同じカップを勝ち取ることができたのだから、パオロにとっては特別な重みを持つタイトルだっただろうと思う。もしかすると、今回のタイトルよりも印象深いものかもしれない。父のチェーザレも私はよく知っている。イタリア代表の助監督時代にその下でプレーしたことがあるからね。偉大なプレーヤーだった父を持ったことは、パオロにとってはプレッシャーでもあっただろうけれど、この世界で生きていく上で大きな助けにもなったはずだ。生まれた時からカルチョの世界の空気を吸いながら育ったわけだからね」

——そしてそれから現在まで、あなたとマルディーニはミランの栄光の時代を共に築いてきた。38歳になった今もなお、彼をピッチに駆り立てるものは何なのでしょう?
「サッカーに対する情熱だろうね。パオロは本当にサッカーが好きで、できることならずっとピッチの上でボールを蹴っていたいだろうと思う。だからこそ常に努力を怠らず、多くの犠牲を払って、プレーヤーとしてのパフォーマンスを維持している。アスリートとして模範的な、規律正しい生活をあれだけ保っていられるのは、サッカーに対する情熱があればこそだ。パオロはミランこの20数年の歴史そのものと言っていい。ちょうどベルルスコーニが会長になった時にデビューし、それ以来誰よりも多くのトロフィを勝ち取ってきた。手にしていないのはワールドカップだけだろう」

——来シーズンが、本当に最後のシーズンになるのでしょうか?
「そうだろうと思う。シーズンが終わった後に膝を手術して、ピッチに戻ってくるのはおそらく10月になるだろう。どんなシーズンになるかは、コンディション次第だ。確かなのは、コンディションさえ完璧ならば、私はパオロをピッチに送り続けるだろうということだよ。パオロは今でも世界最高のディフェンダーのひとりなのだから」□

(2007年6月3日/初出:『サッカーベストシーン11:マルディーニ』

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。