14-15シーズン、7年ぶりにセリエAに戻ってきたエンポリは、イタリアでも指折りの育成型クラブ。このレポートに書いた経営コンセプトは、12年経った今も変わっていません。

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イタリア中部に位置するトスカーナ州は、北イタリアのロンバルディア州に次いで、この国で2番目にプロサッカークラブが多い州である。今シーズンは、セリエAに1つ、Bに3つ、C1に6つ、C2に7つ、4つのプロリーグ(計128チーム)に計16ものチームが登録されている。ロンバルディアの18チームと合わせれば、全20州中2つの州だけで、全体の4分の1以上を占める勘定だ。

カルチョの国イタリアの中でも特筆すべき隆盛を誇るこのトスカーナにおいて、長い間盟主の座を保ってきたのは、州都フィレンツェを本拠地とするフィオレンティーナだった。ところがそのフィオレンティーナは、昨シーズン終了後に経営破綻で消滅し、フロレンティア・ヴィオラとしてセリエC2(4部リーグ)から再出発を強いられている。

今シーズン、そのフィオレンティーナに代わり、トスカーナを代表してセリエAの大舞台で戦う唯一のクラブとなったのが、セリエBから4年ぶりの昇格を果たしたエンポリである。

エンポリは、人口わずか4万2000人の小都市(セリエA、Bを通じて最も小さい)を本拠地とする小さなクラブだ。創立は1920年と長い歴史を持つものの、それから90年代半ばまで、ほとんどの時代を、セリエC(3〜4部リーグ)で過ごして来た。

初めてセリエAに昇格したのは86-87シーズン。この時は一度残留を果たしたものの、その後2年連続の降格でセリエCに逆戻りしている。再びカルチョの表舞台に登場したのは、ルチャーノ・スパレッティ監督(現ウディネーゼ)の下、C1から2年連続の昇格を果たしてセリエAへ駆け登った90年代後半だった。しかしこの時も、1年目は英雄的な残留を勝ち取ったものの、2シーズン目は最下位でセリエB降格を喫している。

こうして歴史だけを見れば、エンポリもまた、イタリア中いたるところに存在する中小プロヴィンチャーレのひとつに過ぎないように思われるかもしれない。しかし実はこのクラブ、規模の上では変わらない凡百の中小クラブと一線を画する傑出した強みをひとつだけ持っている。それは、北のアタランタ、ブレシア、南のバーリと肩を並べる、イタリアでも指折りの充実度を誇る育成部門である。

近年ここから羽ばたいたプレーヤーの名前を挙げてみよう。エウゼビオ・ディ・フランチェスコ、ニコラ・カッチャ(ともにピアチェンツァ)、ヴィンチェンツォ・モンテッラ(ローマ)、アレッサンドロ・ビリンデッリ(ユヴェントス)、マルコ・マルキオンニ(パルマ)、ダリオ・ダイネッリ(ブレシア)。セリエAに顔を出すことがほとんどないにもかかわらず、これだけの人材を輩出してきたクラブは、イタリア広しといえども他にはほとんど見当たらない。いってみればエンポリは、「育成型中小クラブ」のモデルともいうべき存在なのである。

実際、4年ぶりにセリエAに戻ってきた今シーズンのチームにも、アントニオ・ディ・ナターレ、ヴィンチェンツォ・グレッラ、エミルソン・クリバリなど、育成部門上がりの選手が少なくない。

単にチームの平均年齢だけで見れば、今年大胆な若返りを図ったパルマの方が低い。しかし今シーズンのパルマは、他のクラブが育てた選手を、言い方は悪いが「金でかき集めて」作り上げたチーム。「自前で育てた」選手はひとりもおらず、逆に「エンポリ育ち」が2人(マルキオンニ、マーク・ブレシャーノ)もいるのだ。この事実ひとつをとってみても、「育成型クラブ」としてのエンポリの重要性がわかるだろう。

この「小粒ながらぴりりと辛い」クラブの秘密を探るために、エンポリの街を訪れることにした。
 

育成型クラブへの特化を決断

エンポリは、山間部にある州都フィレンツェから海沿いにあるピサに向かって流れるアルノ川沿いの平野部、のどかな田園地帯に位置する小都市である。どちらの都市からもローカル線で30分程度の距離だ。

クラブオフィスは街中にあるものの、自前の練習場を持たない中小クラブの常で、チーム部門の本拠地は、ホームゲームを行う市営スタジアムの中にある。小さな街の中心部を抜けて家並みが切れると、すぐに見えてくるのが「スタディオ・カルロ・カステッラーニ」。一応2万人収容ということになっているが、両側のゴール裏はすべて、前回セリエAに昇格した97-98シーズンに設置された、鉄パイプ組みの仮設スタンドである。

そのスタジアムの中にあるオフィスで話を聞いたのは、セリエBに降格して出直しを図った99-00シーズンの半ばからスポーツ・ディレクター(以下SDと略記)を務めるピーノ・ヴィターレ。それまでは、14年間に渡って同じトスカーナ州のルッケーゼ(現在はセリエC1だが長い間Bの常連だった)でゼネラル・ディレクターの職につき、マルチェッロ・リッピ(ユヴェントス)、ルイジ・デ・カーニオ(元ウディネーゼ、ナポリ、もしかして来週からレッジーナ)といった監督を抜擢してきた実績を持つやり手である。

地元特産のトスカーナ葉巻を片時も口から離さない55歳の敏腕ディレクターは、淡々とした口調で話し始めた。

「私が来た時、エンポリは難しい状況にありました。セリエBに降格したばかりで、チームは、前年Aで戦ったベテランと、育成部門から上がってきた若手が半分づつという構成。すぐにA復帰を目指すのか、それとも改めて体制を整え、数年かけてじっくり強化に取り組むのか、方針がどっちつかずで明確ではなかったのです。
しかし私の目から見れば、採るべき方針はひとつしかありませんでした。エンポリにとって、イタリアでも屈指の育成部門は何にも替え難い財産であり、他のクラブに対して優位に立てる数少ないポイントです。この小さなクラブが高いレベルで戦い続けて行くためには、これを最大限に生かし、有望な若手に積極的にチャンスを与え、価値を高めて売却していく以外にはありません。私はファブリツィオ・コルシ会長にそう進言し、戦略の明確化を提案しました」

ヴィターレSDは、シーズンが中盤にさしかかったところで、C1降格の危機に瀕していたチームに荒療治を施す。エリオ・グスティネッティ監督を解任し、若手のシルヴィオ・バルディーニを招聘したのだ。

「バルディーニは若いですが非常に優秀な監督です。アマチュアクラブの指導者から叩き上げ、すべてのカテゴリーを経験して、常に満足の行く成績を上げてきました。私自身、ルッケーゼ時代に2回、彼を獲得しようとしたことがありますが、一度はすでにキエーヴォとサインしており、2度目はブレシアにさらわれて、実現できませんでした。あの時彼がフリーだったのは、非常に幸運なことだったのです」(注:この年バルディーニは開幕直前にブレシアを解任され、浪人中だった)。

新監督への要請はただひとつ。それまで出場機会が少なかった若手を積極的に起用し、長期的なチーム強化の基盤を作ることだった。

荒療治はすぐに効果を現す。監督交代を境に状況は大きく好転し、シーズンが終わってみれば、エンポリは8位という上々の成績で余裕のB残留を果たしたのだった。現在のチームの土台は、この年に築かれたといってもいいだろう。

若い監督のすぐれた手腕を再確認したヴィターレSDとコルシ会長は、続く00-01シーズンを迎えるにあたって、5年という異例の長期契約をバルディーニに提示した。クラブとしての方向性が明確になった以上、腰を据えてじっくりと継続性を持ったチーム作りを進めるべきだという考え方に立ってのことである。ちょっと成績不振に陥っただけですぐに監督を解任するクラブが多いイタリアで、エンポリのこの選択は非常に珍しいが、間違いなく賢明な策だといえる。

「彼もこの提案を喜んで受け入れてくれました。5年あればセリエAに昇格して旋風を巻き起こすことだってできる、若手を育てるこの路線を進めていくのは私にとっても大きなチャレンジだ、というのが彼の返事でした」

5年契約の1年目となった00-01シーズンを戦ったのは、マルキオンニ、マルク・ブレシャーノ(共に現パルマ)、ディ・ナターレ、グレッラ、クリバリといったユース育ちの若手に加え、ミランから保有権の半分を獲得したマッカローネ(現ミドルスブラ)、と、20代前半が大半を占める若いチームだった。

ところがこのチームが、予想を大きく上回る戦いぶりを見せる。シーズンが終わってみれば、64ポイントを挙げてセリエB5位に食い込んでいた。エンポリは一躍「若きタレントの宝庫」として注目を浴び、上で見た主力選手たちにはセリエAのクラブからオファーが殺到する。

「マルキオンニ、マッカローネ、ディ・ナターレ、ブレシャーノ、クリバリ…。彼らを全員手放せば、2500万ユーロ(約30億円)以上の利益をあげることができたでしょう」とヴィターレSDはいう。しかし、この年のエンポリは、パルマにマルキオンニを売却しただけで、残る全てのオファーを断った。

「もちろん、多くの選手にオファーが来るに越したことはありません。しかし、実際に売却するのは1シーズンに1〜2人。しかも、チームの中で最も高い値段のついた選手に限ります。伸び盛りの選手は、本当にステップアップするべき時が来るまで、できる限りチームに引きとどめるのが、戦力を維持する上でも、その後高く売るためにも、大切なことなのです」

売却のタイミングを見極める

そう、エンポリのような育成型のクラブにとって最も難しいのは、選手の売却によってクラブの財政を健全に保ちながら、同時にチームの戦力も維持し続けること、つまり、財政と競争力のバランスである。やっとでき上がった若いチームの土台は、2500万ユーロの大金よりもずっと貴重なものであり、またこの先何年かに渡って、クラブに安定した売却益をもたらしてくれる大きな「財源」でもあったというわけだ。

マルキオンニの売却額は1500万ユーロ。セリエAでの実績がない選手の価格としてはトップレベルである。同じ年にセリエAのアタランタで実績を残したクリスチャン・ゼノーニ(→ユヴェントス)とマッシモ・ドナーティ(→ミラン)の価格が1200-1250万ユーロであったことを考えれば、エンポリがいかに「商売上手」だったかがわかる。

そのマルキオンニ以外の主力を全員キープして臨んだ01-02シーズン。目標は、前年(5位)以上の成績を挙げることだった。もちろんこれは、セリエA昇格(4位以内)を意味している。

果たして、チームとして一段の熟成を遂げた昨シーズンのエンポリは、開幕から安定して首位争いを演じ続け、一度も昇格圏内から落ちることがないまま順調にシーズンを送る。主役となったのはもちろん、好条件のオファーを断ってチームに引き止めた選手たちだった。

しかし、そのまま順調にセリエA昇格を決めるかに見えた3月末、シーズン閉幕まであと10試合を残した時点で首位を走るエンポリに思わぬ災厄が降りかかる。チームドクターにドーピング検査の対象者(1試合に2人)抽選を操作した疑いがかけられ、リーグの規律委員会が調査を始めたのだ。もしクロということになれば、マイナス6ポイントのペナルティが課されることになる。この時点で5位のナポリとは10ポイントの差があったため、すぐに昇格圏内から脱落するわけではなかったが、チームが受けた精神的なダメージは大きかった。

それからの5試合、まったく勝ち星を挙げることができず、順位も首位から4位へと後退。4月19日に規律委員会がクラブへのペナルティは課さない(チームドクターは資格停止)という決定を下すまでの3週間あまりは、順風満帆で進んできた昨シーズンの中で唯一、大きな困難に陥った時期だった。

しかしチームはこの困難を見事に乗り切って4位の座を最後まで守り切り、目標通りのA昇格を勝ち取る。チームの総得点60はリーグ最多。その80%近い47得点を挙げたのは、4-2-3-1システムの攻撃を担う前線のカルテットだった(ディ・ナターレ16ゴール、トンマーゾ・ロッキ12、マッカローネ10、ブレシャーノ9)。彼らはいずれも20代前半。2年続けての活躍で、選手としての市場価値はさらに上昇した。まさに狙い通りの展開になったわけだ。

さて、セリエAという最高峰の舞台で戦うことになった今シーズンも、エンポリの基本的な強化方針には変化がなかった。つまり、「売り時」の選手を1〜2人だけ売って、きっちり利益を上げながら、チームの継続性を保つという方向性である。

「戦力のことだけを考えれば、伸び盛りの主力選手たちはそのままキープし、さらに熟成させたチームでセリエAにチャレンジしたいところですが、それはクラブの財政が許しません。エンポリの年間予算は、セリエBを戦った昨シーズンが約1100万ユーロ、セリエAを戦う今シーズンは約1800万ユーロという規模ですが、そのうち入場料収入の占める割合は、ほんの1割程度に過ぎないのです。財政的に最も依存度が高い衛星TV放映権料も、大幅な減額を強いられています。収支をバランスさせるためには、少なくとも700-800万ユーロの収益を、移籍市場から挙げなければならないのです」(ヴィターレSD)

したがってエンポリにとっては、今夏の移籍マーケットはクラブの財政を健全に保つ上で、非常に大きな意味を持っていた。今年の「目玉商品」は、前年にミランから500ユーロで保有権を買い取っていたFWのマッカローネ。U-21代表のエースとして活躍し、3月にはイングランドとの親善試合でA代表に招集されてデビューを飾った23歳である。売却先は、イタリアのクラブが躊躇する中、イングランド戦での活躍に目を留めて獲得に乗り出したミドルスブラ。ビッグクラブが軒並み資金不足に陥ったこともあり大きく冷え込んだイタリアの移籍市場において、1400万ユーロという移籍金は破格に近い金額だった。

さらにエンポリは、イタリアで唯一積極的に若手の獲得に動いていたパルマに、ブレシャーノを900万ユーロで売却。このふたつのビジネスだけで、1500万ユーロを超える利益を稼ぎ出した。昨年に続いて「商売上手」なところを見せ、しっかりと収益を確保したわけだ。中小クラブのディレクターにとって、「選手を売買する才覚は、選手のタレントを見抜くのと同かそれ以上に重要」と、ヴィターレSDはいう。

しかしもちろん「売却」だけでは、クラブの財政は保てても戦力は保てない。しかも、今シーズンの舞台はセリエAである。チーム作りにおける最大のポイントは、マッカローネ(センターフォワード)、ブレシャーノ(トップ下)のふたりが抜けた穴をどう埋めるかだった。A昇格の立て役者だった前線のカルテットを再構築する必要があったのだ。

イタリア屈指の育成部門を誇るエンポリといえども、毎年のようにセリエAで通用するアタッカーを輩出することはさすがに不可能だ。今シーズンに臨むにあたり、センターフォワードには、バルディーニ体制初年度の99-00シーズンにもエンポリでプレーしたルカ・サウダーティ(アタランタ)、トップ下には、ヴィターレSDがルッケーゼ時代に育てたイギリ・ヴァンヌッキ(ヴェネツィア)と、セリエAを経験済みの若手アタッカーをともにレンタルで獲得しなければならなかった。

「この2人には、ブレイクを期待された昨シーズンを不振のままに終えたという共通点があります。その雪辱を果たし、ビッグクラブへとステップアップするためには、エンポリは彼らにとって絶好の舞台といえるでしょう」というヴィターレSDの言葉通り、開幕から5試合を終えた時点では、ともに全試合に出場し、サウダーティは2ゴール、ヴァンヌッキも6節ピアチェンツァ戦で2-1となる決勝ゴールを決めるなど、期待を裏切らない活躍ぶり。ここまで10ポイントを挙げ、ビッグクラブ勢の直後に続く5位というエンポリの躍進を主役として支えている。

2年前のマッカローネ(前年にC2のプラートで17ゴールを挙げていたが、まだ20歳で未知数の部分も多かった)、昨シーズンのロッキ(Bのトレヴィーゾから獲得して12ゴール)、そして今シーズンのこの2人と、選手獲得に関するヴィターレSDとバルディーニ監督(補強に関しては、コルシ会長も含めて3人で徹底的に話し合うという)の目の確かさは特筆モノといえる。

育成センターへの大型投資

しかしもちろん、エンポリがここまでの躍進を遂げた最大の原動力は、モンテッラからマルキオンニまで、多くのタレントを輩出してきた充実した育成部門にある。クラブの事務部門を統括するステーファノ・カリストリ事務局長は、その現状を次のように説明してくれた。

「エンポリは伝統的に、常に育成部門に力を入れてきました。ここトスカーナには数多くのプロクラブがありますが、州の中で最も有望な子供たちは、こぞってエンポリを選びます。それは、ここに来れば自分のタレントを伸ばし、プロの世界で通用する選手になるための環境があることを知っているからです。

トスカーナで最も有名なクラブは、もちろんフィオレンティーナです。しかし、あそこの育成部門に行き、プリマヴェーラの主力として活躍しても、トップチームにそのまま上がることはまず不可能です。セリエAで上位を狙うクラブになると、若手を抜擢するのは非常に難しいからです。しかしエンポリは、若手をトップに抜擢してその才能を伸ばし、商品価値を高めて売ることをクラブとしての基本方針にしています。エンポリの育成部門で育つほうが、ブレイクするチャンスはずっとたくさんあるというわけです」

現在、育成部門にはプリマヴェーラ(18歳以下)からエソルディエンティB(11歳以下)まで、1年刻みで7チームがあり、140人の子供たちがプレーしている。監督、コーチは全部で12人。全員がフルタイムのプロコーチで、かつてエンポリでプレーしたOBが大半を占めているという。

14歳以下に関しては、自宅から通える周辺地域の子供たちが大部分だが、15歳以上になると、かつてのモンテッラがそうであったように、南イタリアからスカウトしてきたタレント、さらには外国籍の選手もチームに加わるようになる。ちなみに、ブレシャーノとグレッラはオーストラリア人、クリバリはブラジル人だが、いずれも10代後半の時にエンポリが発掘し、プリマヴェーラで育ててトップに引き上げた選手である。

育成部門に対する年間の投資額は約200万ユーロ。これは、育成型クラブの頂点ともいえるアタランタに準じ、やはり育成で定評のあるブレシアのそれを大きく上回る金額だ。カリストリ事務局長は続ける。

「我々のようなクラブは、育てた選手を売り続けることによってしか、セリエA、Bで戦い続けるだけの財政規模を保っていくことができません。売れる選手を育てるためには育成部門にそれに見合った投資をすることが必要です。ですから我々は、選手の売却益を次の戦力獲得のために投資するよりも、育成部門に投資することの方を優先しているのです。 この2シーズン、マルキオンニとマッカローネのおかげで、クラブは大きな収益を上げることができました。その収益も、目先の戦力強化ではなく、新しいチェントロ・スポルティーヴォ(総合練習場)を建設するために振り向けることが決まっています」

これは、6面のサッカーコート、合宿施設を備えたクラブハウス、そして一般市民向けのフィットネスクラブを併設した、本格的な総合スポーツ施設になるという。数年後に完成すれば、トップチームから育成部門の一番下まで、全部が同じ場所を拠点にして活動することが可能になるわけだ。ちなみに現在、イタリアでこの規模のチェントロ・スポルティーヴォを保有しているプロクラブは十指にも満たない。にもかかわらず、エンポリのような小規模のクラブが、それだけの投資に踏み切るのは何故なのか。カリストリ事務局長の言葉は、その答えを明快に示している。

「もちろん、育成部門にいくら投資しても、トップチームのレギュラーすべてを自前で育て上げることは不可能ですし、ひとりもトップに上がらない不作の年が続く時だってあります。しかしそれでも、ビッグクラブのような財源を持たない我々は、この路線を守ってベストを尽くす以外にはないのです。セリエAで戦っていようとセリエCに落ちようと、エンポリのアイデンティティは、イタリア屈指の育成部門を持ち、優秀なプレーヤーを輩出し続けるというところにあるのですから」。□

(2002年10月28日/初出:『ワールドサッカーダイジェスト』)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。