今年の8月、ある仕事のためにペルージャのガウッチJr. (兄)に1時間ほど話を聞いたのですが、原稿の中にはほんの2、3のコメントしか使いませんでした。そろそろほとぼりも冷めたことだし、話の内容は非常に興味深いものなので、翻訳しつつ起こした対話をここにノーカットで収録することにします。

ちなみに彼は、一般的には胡散臭い野郎だというイメージがあるかもしれませんが、実は非常にやり手のクラブ経営者です。この激動の時代に、セリエAに6シーズンも定着しているプロヴィンチャーレは、ウディネーゼを除くとペルージャだけだという事実がすべてを物語っています。

この取材では、移籍事情や選手の評価など、日本絡みの話を中心に聞いているので、その辺りはあまり出ていないかも知れませんけど。

量的にはかなり長大ですが、けっこう面白い話がいろいろあります。詳しくは読んでのお楽しみ。興味のある方だけ、じっくりお読みください。

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※インタビューは2003年8月7日、ペルージャのクラブオフィスにて行われました。

――ペルージャは98年W杯直後に21歳の中田英寿を獲得しました。当時、ヨーロッパではほとんど評価されていなかった日本から選手を獲得し、しかもその彼が大活躍したことは大きなセンセーションでしたが、この出来事はその後、イタリアサッカー界にどんな変化をもたらしたのでしょうか?

「中田の獲得は、イタリアのみならず世界全体に、サッカークラブの経営に関する新しい考え方をもたらしたと思います。

それまでは、日本やその他あまり知られていない国から選手を獲得することは、おっしゃるようにビジネスとかスポンサー・オペレーションとか、そういうものと結びつけて見られて来ました。しかし今は違うでしょう?世界中どこの国の出身でも、ひとりのプレーヤーとして見られ評価されるし、差を作り出す選手になるかもしれないと期待される。

我々が中田を獲った時には、誰もが単にビジネス、スポンサーやマーチャンダイジングのためだろうと思ったものです。しかし彼がペルージャで成功してからは、日本にも優秀な選手がいる、とみんなが目を向けるようになった。

もちろん中田は今でも日本の頂点にいると思いますが、優秀な選手は彼だけではありません。小野、中村、柳沢、稲本、そしてより若い世代の小笠原、大久保など。しかしこれは日本だけの話ではありません。世界中の国がそういう目で見られ、選手発掘の対象になりはじめたのです。

ペルージャがこれまで残した結果は、我々の哲学が正しいものであることを証明しています。つまり、優秀な選手は世界中どの国からでも生まれる可能性があるということです。大事なのは、余計な先入観を持たず、選手のクオリティをしっかり見極めることです。

サッカーは世界中同じなのですから。もちろん、文化的な習慣とかメンタリティとか、そういう部分は異なりますよ。でも、サッカー選手としての才能に国境はありません」

――いわゆる“サッカー発展途上国”に積極的に目を向けるというアイディアはどこから出てきたものなのでしょうか?

「ペルージャは地方都市を本拠地とする小さなクラブで、財政的にも有名選手を集めて強いチームを作れるほど豊かではありません。だから別の方法で強化の道を探らなければならなかったのです。それは、世界中どこにでも目を向けて優秀なタレントを発掘することです。

そのためには、遠い国に対する偏見を持たず、開かれたメンタリティを持つことが必要です。また、あらゆる面で彼らがイタリアという新たな環境に慣れるのをサポートすることも大切です。

ヨーロッパ、特にイタリアでプレーするというのは、世界中すべてのサッカー選手にとっての夢でしょう。我々ペルージャはその機会を提供することができる。このシンプルな関係がすべての基本です。そして、もし我々が本当にいい才能を発掘することができれば、共に大きな結果を勝ち取ることができるというわけです」

――中田がイタリアに来てからの5年間で、日本のサッカーは変わったと思いますか?どんな変化があったと見ていますか?

「以前にはおそらく考えられなかったことなのでしょうが、今では日本の若い選手たちは、もし本当に優秀であればヨーロッパに来てプレーするチャンスがあることを、最初から知って育ってきていますよね。

ヒデはもちろん、小野、中村などがいい活躍をしています。稲本はよりヨーロッパに向いているように見えたのですが、その点ではちょっと期待を裏切っていますね。イングランドに行くよりもイタリアに、ここ(ペルージャ)に来ていた方がよかったと思いますが……。

それはさておき、ヨーロッパへの道が開けたことで、日本の若い選手たちが、これから育つ子供たちも含めて、より大きな目標とモティベーションを持つようになった。これは非常に大きいと思います。

実際、去年のワールドカップでも、ユース年代の大会でも、日本はよくやっていますからね。世界に対して日本サッカーのイメージを担っているのはヨーロッパでプレーする彼らだし、そういう目標があることは、それに続く世代にとっても大きな刺激になるでしょう」

――そういうポジティブなフィードバックの連続で国全体のサッカーのレベルが上がって来ていると。

「ええ。近い将来、日本から新たなカンピオーネ(名選手)が生まれてくることは間違いないでしょうね」

――あなたは中田にとどまらず、他の日本人選手にも触手を伸ばしましたよね。

「ええその通りです。ヒデの後には、中村を3年間に渡って追いかけました。他の選手を見るのも含めて、何度も日本に足を運び、彼のクラブとも何度か会って話をして、1年前のシーズンオフには、クラブとも本人ともほぼ合意に達していたんです。

でも問題は、契約書を交わす段になって、僕がその時期にスケジュールの関係で日本に行くことができず、また彼ら、横浜マリノスの幹部がイタリアに来ることもできなかったということでした。

そうしているうちに、やはり中村の獲得に乗り出していたレッジーナが日本に飛んで、契約をまとめてしまったというわけです。タイミングの問題でした。あれがなければ、中村はペルージャでプレーしていたと信じています」

――柳沢は?

「柳沢ねえ。僕にいわせれば、日本人選手で一番レベルが高いのは、少なくとも現時点ではミッドフィールダーです。ディフェンダーに関しては、まず肉体的な面で、ヨーロッパのサッカーに適応するのが難しいような気がする」

――フォワードは?

「フォワードも、今のイタリアサッカーの中でプレーするのは難しいと思います。最近は特にそうですが、サポーターやマスコミは、選手に時間を与えてくれない。育つのを待っていてはくれません。

ミッドフィールダーならゴールを決めなくとも何も言われませんが、フォワードの場合は、ゴールを決めないとすぐにマスコミやサポーターが批判を始めます。ちょうど三浦がそうだったようにね。

残念ですがフォワードにはそういう壁がある。一方、日本のミッドフィールダーは、このポジションに重要なキャラクターをすべて備えています。走力と持久力があって、テクニックにも戦術センスにも優れていて、中盤で複数のポジションをこなすことができる」

――守備の局面でのフィジカル・コンタクトはそうでもないような気がしますが。

「いやそんなことはない。ヒデも最初は戸惑っていたけれど、すぐに身につけましたよ。単にメンタリティの問題です。日本のサッカーには、これほど激しいコンタクトは習慣としてありませんからね。中村や小野も守備ではこっちに来てから大きく進歩していますよ」

――でも、ペルージャは柳沢にもオファーを出していますよね。

「ええ。1年半ほど前のことです。当時彼は24歳で、イタリアに来てさらに伸びるためには、年齢的にいってギリギリのタイミングでした。26歳くらいになると、新しい環境で経験を積んで才能を伸ばすことが難しくなってきます。

もちろんまったく伸びしろがないというわけではありませんが、若ければ若いほどいい。それは間違いないことです。新しい習慣を受け入れ、それに馴染み自分のものにして行くマージンが大きいですからね。

ですから、あの時に来ていればよかったと思います。正直いって今はかなり難しいんじゃないかと思っています。しかも彼はフォワードですからね」

――何が足りないのでしょう?

「いや、何が足りないという話じゃないんですよ。これだけフィジカルが強くプレッシャーが大きいイタリアのディフェンスに対峙するのは、いずれにしても簡単なことじゃない。
それに慣れて対処法を身につけるだけの時間的余裕や精神的な柔軟性が、26歳という年齢でどれだけ残っているかというと……。それに、サンプドリアはいいフォワードが揃っていて競争も激しいでしょうし」

――稲本にもオファーを出しましたよね。

「ええ、何度もね。少し前も彼の代理人である田辺氏と話をしましたが、もしフルハムに残らないのであれば、イタリアに来るのはやぶさかではない、と言っていました。ただ、第一希望はやはりイングランドで、言葉も覚えてやっと慣れてきた環境の中で続けたいということでした。

我々は彼がまだガンバ大阪でプレーしている頃から追いかけていますし、もしイタリアに来るならばペルージャに来てくれるはずだと今でも思っています。今は、EU外選手枠が厳しくなったことが大きなネックですが」

――キエーヴォも稲本獲得にはかなり近いところまで行ったようですが。

「それは知りませんが、そうかもしれません。ペルージャの場合は、どうしてもヒデの1年目と比較されてしまうことになるので、日本人はどうしても尻込みしてしまうという面はあると思います。

21歳でペルージャにやってきたミッドフィールダーが、すぐに10ゴールを決めるというのは、並大抵のことではありません。これまでペルージャでプレーした選手の中でも最も優秀な選手のひとりですからね。ヒデと比較されることを怖れているという印象は、日本の選手と実際に交渉していて、何度も感じたことがあります」

――オファーに対する日本のクラブの振る舞い方は、ヨーロッパや南米のクラブとかなり違うんじゃないですか?

「サッカー界のシステム自体が、ヨーロッパとは全く違いますからね。ただこれは、これまでヨーロッパのクラブと選手を売買する、日常的にそういう交渉をするという経験がなかったためだと思います。習慣の問題ですよ。

ヨーロッパでは、選手がクラブを渡り歩くことはごく当り前のことです。でも日本ではクラブは、選手を育てるファミリーのように見られているし、そうやってチームのシンボルになって行くのがいいと思われているところがある。

ヨーロッパでは“バンディエーラ”(旗印。チームのシンボルとなる選手を指す)は絶滅寸前ですからね。クラブは、それぞれの利害に基づいて選手を売買し、選手もそのシステムの中で自分を高く売り、キャリアを積もうとする。日本はヨーロッパのそういうメンタリティからは遠いところにいます」

――日本のクラブと交渉する時にはどんな困難がありますか?

「う~ん。困難という言い方はちょっと違います。ただ、今いったような考え方、メンタリティの違いがあるから、交渉にはすごく時間がかかります。日本のクラブと交渉をしようと思ったら、少なくとも3~4ヶ月はかかるのを覚悟しなければならない。クラブや選手に納得してもらって契約にこぎつけるまで、そのくらいの時間がかかるんです。

ヨーロッパではそうではありません。相手のクラブに照会して、イエスかノーか、イエスなら移籍金はいくらか、あるいはこの選手と交換するのはどうか、という条件交渉に入って、合意に達する。そこまででも1週間あれば十分ですから」

――日本のクラブに仕組みを理解してもらうまでに時間がかかるということでしょうか?

「いやそういうことじゃない。交渉ごとである以上、相手を理解し、それに合わせることは当然必要ですよね。日本のシステムはわれわれのそれとは異なっているから、それに合わせるというだけのことです。

どうしてなかなか話が進まないのか、どうして決断までに時間がかかるのか、それを理解してそのつもりで対応すればいいだけのことです。だって、そうしないと合意にこぎ着けられないわけだから」

――日本の側も世界のスタンダードに合わせなければならない部分があるんじゃないでしょうか?

「そうですね。我々が彼らから見ればずっと速く物事を進めることを、敬意を欠いている、選手を単なる商品のように考えている、というふうに受け取られてしまうと、ちょっと辛いですね。これはもう習慣の問題で、敬意を欠いているとかそういうことじゃないんです。

逆に、イタリアやスペイン、イングランドやフランスのクラブは、日本のクラブが決断を下すまでにどうしてこれだけ時間がかかるのか、なかなか理解できないと思います。その点僕はもう20回以上日本に足を運んで彼らとも話をして、事情も理解していますから、それだけ交渉しやすいというところはあると思います」

――あなたから見て、日本のサッカー界で最も特徴的なのはどんなことでしょう?

「僕に言わせれば、一番特徴的で、かつ一番素晴らしいのはサポーターです。僕はこれほど熱狂的でかつスポーツ本来の精神にあふれたサポーターを見たことがありません。暴力もなければ、攻撃的なところもない。スタジアムにはいつも祝祭の空気が漂っている。

イタリアではもう考えられなくなってしまったことです。イタリアのサポーターにとってサッカーの試合は祝祭ではなく戦争ですからね。

暴力もなければ殺気立った空気もないスタジアムでサッカーを楽しむというのは、本当に素晴らしいことだと思います。その点で、日本のスタジアム、日本のサポーターは、世界中のどの国よりも優っています」

――でも、遺恨じみたライバル関係とかキツい皮肉の効いたやりとりとか、そういう健全な敵対関係があまりなくて、模範的過ぎるので、個人的にはちょっと物足りない感じもします。

「まあ確かに、対立関係がまったくないと、スポーツ本来の魅力でもある競争の楽しみ、勝敗のもたらす喜びや悔しさもなくなってしまいますよね。でも、イタリアの状況は明らかに行き過ぎです」

――話を戻すと、日本人選手の獲得には、戦力としての評価だけでなく、つねに商業的な動機という側面がついて回ります。少なくともこれまではいつもそういう風に見られてきた。

「ヨーロッパでまだ理解されていないことがひとつあります。それは、プレーヤーから商業的なメリットを得ることに、悪いことなどひとつもないということです。ベッカムなんて、サッカー選手というよりは映画スターみたいな存在ですよね。

でも、そこにはひとつの大原則があります。それは、イギリス人であろうと日本人であろうと、その選手が優秀じゃない限り、そこにはなんのビジネスも発生しないということです。だから、我々にとって一番大事なのは、まずなによりも優秀な選手を発掘すること。そこに結果としてビジネスがついてくるのであれば、それに越したことはない。

僕は、スポンサーやマーチャンダイジングのために日本に行くわけじゃないし、そういうことのために気に入ったわけでもない選手を獲ることは絶対にあり得ません。それは、韓国でも中国でも、アメリカでもオーストラリアでも同じことですよ。

最も大事なのは、その選手がどれだけ優秀かということです。その点から見てイタリアでプレーするにふわさしい選手だということになれば、もちろんビジネスの可能性も検証はしますよ」

――でも、例えば同じくらい優秀で同じくらいの値段の選手がふたりいて、ひとりは日本人、もうひとりはコスタリカ人だったとします。たぶんみんな日本人を獲ろうとしますよね。

「それは当り前のことですよ。ビジネスという観点からみれば、コスタリカと日本では期待できるものは比較にならない。サッカーに対する関心度も違うし、TVもスポンサーもずっと大きい。要するに国の経済規模が違う。そちらを選ぶのはごく普通のことじゃないですか」

――ということは、日本人選手はその点で、ヨーロッパでプレーするチャンスがより大きいことになりますね。

「その通りだと思います。日本と比べて経済力が低い国の選手と比べれば、確かにアドバンテージはありますね」

――最初から完全移籍したのは、イタリアでは今のところ中田だけです。あとはみんな、1年間のレンタル移籍プラス完全移籍のオプションという形態です。

「オプションつきのレンタル移籍という形態は、我々ペルージャも非常によく使うやり方です。ただ、中田の場合は、僕自身、彼は間違いなく大きな戦力になると信じていたので、最初から完全移籍という賭けをしたわけです。

調べてもらえばすぐにわかることですが、ペルージャはこれまで、中田に使ったほどのお金を他の選手に使ったことは一度もありません。10億リラ以上の移籍金を支払った選手は、唯一中田だけなのです。中田の移籍金は70億リラでした。これまでで一番大きな賭けでしたよ。

例えば、もし中村を我々が獲得していたら、やはりオプションつきのレンタルという形態にしたと思います。ペルージャが世界中から獲得した選手はほとんど、この形態ですからね。中田の方が特別だったのです。

選手がイタリアという環境に馴染めるかどうかは、つねに大きな未知数ですからね。どれだけ才能があっても、それがうまく行かなくて力を発揮できないことがある。文化、言語、気候、食事……。そのリスクを軽減するために、1年間のレンタルという形態をとるわけです」

――でも、日本人選手の場合には、その1年間の間に投資した分くらいは、付帯して発生するビジネスで回収できてしまいますよね。

「中田に関して非常に残念だったのは、ペルージャは彼を通してビジネスをしたということばかり強調されて報じられたことです。中田は偉大なプレーヤーです。もちろん、彼のレプリカユニフォームが売れたことは嬉しいことですが、それはあくまでも付帯的なものに過ぎません。ビジネスとしても、それほど大きなものではなかった」
 
――でもあなたはガレックスを持っているわけで、アディダスやナイキからロイヤリティだけもらうのとは、金額が違いますよね。

「いやすごく違うというわけではありませんでしたよ。ヒデはもう自分のテクニカル・スポンサーを持っていたし――最初はフィラでその後ナイキになりました――、ガレックスにとってのビジネスは、それほど大きなものじゃなかった。

もちろん、ヒデを通してガレックスの名前が日本のマーケットに知られたという点では、意味がありましたよ。あれ以来ずっと、ガレックスは日本とのビジネスを続けているわけですから。ガレックスにとっては、中田による直接的なビジネスではなく、中田がペルージャにもたらしたイメージを通じた、間接的なビジネスだったということですね」

――話を戻すと、いずれにせよ、今後も契約の形態はオプションつきレンタルが主流だと。

「ヒデのように、間違いなくイタリアで通用するという確信を与えてくれない限りは、そうならざるを得ませんね。今カルチョの世界は、深刻な経済危機に陥っていますし、クラブもできる限りリスクを避けようとするのが当然です。

移籍金の相場もたった1年で4分の1、5分の1になりましたからね。今、例えば中田に使っただけの金額を投資しても、数年後にそれを回収して儲けが出せるという保証はまったくありません」

――しかし逆の見方をすると、日本には今のところ、完全移籍というリスクを負ってまで連れてきたいという選手がいないということになりますよね。

「いや、話のポイントはそこじゃありません。問題は、さっきも言ったように、言葉や文化の違いを巡る適応の問題が常にあるということです。食事が違う。言語はまったく違う。ライフスタイルも違う。練習の仕方も違えばチームメイトの態度も違う。ありとあらゆることが日本とは違います。

そして、そうした変化にどれだけ適応できるかを、事前に知ることはほぼ不可能なんです。連れてきてみるまでわからない。事前にどんな性格かとか、そういうことはもちろん調べますが、それは現実には役に立たない。もちろん、受け入れる我々も、あらゆる経験を動員してサポートしますよ。

ペルージャはこれまですでに、55もの国から選手を獲得してきましたから、その点での経験はおそらくイタリアのどのクラブよりもある。今までたくさんのケースを見てきました。食事が合わない選手、気候が合わない選手、言葉や文化の違いを越えられない選手……。

アン・ジョンファンは、食事の問題がすごく大きかった。イタリア料理と韓国料理は全然違うし、食習慣も違う。彼はたくさんの量を食べるのに慣れていたけれど、イタリアではアスリートの食事は非常に厳しく管理されています。

彼はいつも空腹を抱えていて、少ししか食べないのに慣れることができなかった。イタリア料理は美味しいですが、アスリートの場合は好きなものを何でも食べるわけにはいきませんからね。アンにとっては、言葉と食事が最も大きな障壁でした。有能な通訳を見つけるのはすごく難しいですからね。

余談になりますが、彼との関係がこじれたのも、言語の問題からでした。彼がペルージャに対して腹を立てたのは、もしかしたら通訳が、我々が言っていることとまったく逆のことを彼に伝えたからかもしれない。問題は、それを確かめる方法すらないということです。

ワールドカップの後に起こったことも、まさにそれでした。僕は通訳に電話をして、父(ルチャーノ・ガウッチ会長)は別にアンに腹を立てているわけではないと伝えてもらおうとしたのですが、それがどれだけ伝わったかわからない。

父が冗談でああいうこと(「二度とペルージャに足を踏み入れさせない」)を思わず口にしたのは事実ですが、マスコミがそれを面白がって誇張したことから、話がどんどんこじれて行った。修復の仕様がないので、仕方なく売ることにしたんです」
 
――中田がもたらした商業的なインパクトについてちょっと話したいんですが。というのも、彼が来るまでイタリアには、肖像権をこれだけ積極的に使ってビジネスをするという習慣がなかった。中田のビジネスを見て、イタリアの代理人たちもそういうチャンスに目覚めたところがあるように見えるのですが。

「う~ん。でも日本とイタリアではマーケットの質がかなり違いますからね。イタリアのサッカー選手は、日本と比べるとアイドルとして見られる度合いがずっと少ない。もちろんスターだし、長い間スターであり続けるけれど、イメージをああいう風に大量に消費するというのはイタリアでは考えられない。

日本では、すごく人気が出て一躍アイドルになったけれど、ほんの少しするとまったく消えてしまった選手が何人もいますよね。イタリアでは、そんなに爆発的な人気が出ることはないけれど、長い間スターであり続ける。そこは全然違います。日本の社会は、資本主義経済の最先端を行っているから、それだけ消費のスピードも速いし変化も必要ということなんでしょうけど」

――ペルージャも最初は、中田を使った肖像権ビジネスを狙っていたんですよね。

「当然ですよ。ペルージャはイタリアでプレーし成功するチャンスを彼に与えたかった。でもこれだけの投資をするのは初めてだったわけですから、少しでもそのリスクを軽減できるに越したことはない。当時としてはすごいリスクでしたからね。

だって、日本人選手を獲得したと聞いて、ほとんどの人たちはガウッチは気が違ったんじゃないかと思ったんですから。ここペルージャの地元だけではなくて、イタリア中、いや世界中がそうでしたよ。経済的にはもちろん、イメージ的にもリスクがあったわけです。

肖像権は、経済的なリスクを軽減するための可能性だったのですが、結局最後まで、彼の肖像権をペルージャが活用する機会はまったく得られなかった。彼のマネジメント会社がすべてを抱え込んでいましたから」

――いずれにせよ、中田以来、イタリアの代理人やクラブも、肖像権絡みのビジネスにすごく敏感になったことは確かですよね。

「まあそうでしょうね。でもそれは、イタリアでも日本でもマスコミが、ペルージャはビジネスのために中田を獲ったと書き立て、言い募ったことも大きく関わっていると思います。

おかげで、日本人選手を獲得すれば、いつもビジネスがついてくると思われるようになった。どこの国の選手でも、優秀でない限りたとえ獲得したところでビジネスなど生まれようがないということを忘れているんです」

――今、獲りたいと思う日本人はいますか?

「もちろんいますよ。でも移籍のルールが変わって、年に1人しかEU外国籍の選手を獲れなくなったので、今シーズンは無理です。もうカダフィを獲ってしまいましたから」

――もし可能なら誰を獲りたいですか?

「正直言って、小笠原のことは以前から気に入っています。まだまだ伸びしろがある。でも、そろそろ日本を出てこっちに来ないと、せっかくの伸びる可能性を生かせなくなってしまう年齢にさしかかっています。急いだほうがいい」

――年齢的に、何歳までにヨーロッパに来るべきなのでしょう?

「僕は23-24歳までだと思います。できれば20-22歳くらいで来るのが一番いい。25歳を過ぎると、適応のマージンが少な過ぎて難しいと思います」

――ペルージャにとっては、肖像権とかそういうビジネスの側面というのは、日本人選手を獲る上では大きな要素ではない?

「小さなことですよ。もしペルージャが選手の肖像権を持ったとしても、ペルージャのような小さな都市では大きなメリットは期待できません。もし中田が例えばミランのようなクラブに行けば話は別ですよ。ああいうビッグクラブは世界中にファンがいますから、マーチャンダイジングの市場がすごく大きい」

――でも小さなクラブでも、日本には大きなマーケットを期待できますよね。

「それはもちろんそうです。もしその選手が優秀で活躍してくれれば、肖像権をクラブが持っていれば大きなビジネスになる可能性はありますね」

――実際、ガレックスが売ったユニフォームのうち80%は日本で売れた。

「それは当然ですよ。ペルージャは人口15万人しかいない小さな町で、ペルージャのサポーターはペルージャにしかいない。日本には1億3000万人の人がいて、その大半がヒデのサポーターですからね。ペルージャでは売れてもせいぜい5000枚がいいところです。仮に日本で5万枚売れたとしても、80%よりもずっと多い比率になります」

――中田はペルージャの後、ローマ、パルマという道をたどったわけですが、ローマへの移籍は、彼のキャリアにとっていい選択だったようには見えないのですが……。

「もしローマで彼の前にトッティという選手がいなければ、話はまったく違っていたと思います。カペッロは彼をペルージャから獲得する時に、中盤の底でゲームメーカーとして使おう考えていた。でもそれは無理な注文だった。ヒデはトレクァルティスタですから。いずれにしても、自分の思ったように動き回ってプレーする自由を必要とする選手です。

カペッロはそこを見誤った。だから次第に、トッティの替わりにしかプレーしなくなりましたよね。今のパルマでも、ヒデのことをまったく理解していない。彼は右ウイングでも右サイドハーフでもありません。中田を潰そうとしているようなものですよ」

――でも、1年目はウリヴィエーリのもとでトップ下でプレーしましたが、うまくいかなかった。

「チームのメカニズムにもよりますからね。監督の中には、選手に決まった動きを要求する人もいるし、もっと自由にやらせて持てる力を引き出そうとする監督もいる。ヒデは自由にプレーさせないと力が引き出せない選手ですから。

ペルージャでもそうやって、多くのボールを奪い、そこから攻撃を展開し、フォワードにアシストを送った。90分間を通して、中盤と前線の間を往復するスタミナも備わっていますし。しかし、あるゾーンに押し込めて決まったことだけを要求すると、そういう良さを全部殺してしまうことになる」

――いずれにしろ、ペルージャは中田をローマに売って莫大な利益を得たわけですが。

「ええ」

――買った値段が70億リラで、売った値段が……。

「320億リラです。それプラス、ブラージとアレニチェフ。ブラージは150億リラでユーヴェに売りました。アレニチェフも80億リラで売った」

――全部合わせると500億リラを軽く越えるわけだ。

「そうですね。その意味では、最高の商売だったことは間違いありません。でもああいうことはもう二度と起こらない。当時の相場は、今の何倍も高かったですからね。20億リラ、30億リラで買った選手も、せいぜいその倍くらいで売るのが精一杯です」

――ローマに移籍してから、中田がペルージャで見せたような活躍を見せていないのは何故だと思いますか?

「理由はひとつではないと思います。どのチームも、ペルージャがそうしたほどには彼の可能性を信じていないように見えるし、さっきいったように、彼の力を十分に発揮できる形では起用されていない。

彼の中でも、ペルージャでそうだったように、何も考えずただ前を向いて戦うという姿勢や意欲がすこしなくなったようにも見える。というか、今のヒデはピッチの上でプレーを楽しんでいないですよね。楽しいというよりも悲しそうに見える。ここでプレーしていた時のようには幸せではないように見えます。

それにペルージャでは、中田とラパイッチがチームで一番優秀な選手だったわけですが、ローマやパルマのようなクラブに行くと、同じレベル、もっと上のレベルの選手がたくさんいる。それも関係あるかもしれません。でも、僕にいわせれば一番大きな理由は、力を発揮できる形で起用してもらえないことだと思います」

――今シーズンは彼も移籍の意思をほのめかして、実際にイングランドのクラブやミラン、ラツィオなどの話がありました。話がまとまらなかった理由はどこにあると思いますか?

「年俸が高いことが大きな障害になっていることは間違いないでしょうね。サッカー界の経済危機は深刻ですから、これまでのような高年俸を払い続けることが難しくなってきている。パルマが支払った移籍金も、それに見合った金を支払えるクラブは今はどこにもありません。もし安売りしたら、パルマは大きな損失を計上しなければなる。一番大きいのはそれだと思います」

――でも、持っていても年俸と減価償却で決算には響きますよね。

「ええ。ですから、持っているよりもさらに損するような形で売るわけにはいかないということですよ」

――その高い移籍金の元になったのは、ペルージャがローマに売った金額だったわけですが、あの値札は中田の選手としての価値に見合ったものだったといえるでしょうか?

「あの時点では見合っていたと思います。あのシーズンのセリエAでは、最もいいパフォーマンスを見せていたミッドフィールダーのひとりだったし、まだ22歳と年齢も若かった。

そしてローマは、中田を補強することでスクデットを狙おうとしていた。それだけの目標がかかっている時には、値段も当然つり上がります。今の中田のパフォーマンスからいえば、当時の相場でもあの値段にはならないだろうと思いますが」

――要するに、ペルージャは最もいい時に最もいい相手に中田を売ったと。

「まさしくその通りです」

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。